一海氏は11年11月1日、子会社リンク・セオリー・ホールディングスとリンク・セオリー・ジャパンの会長に就任した。女優・萬田久子さんの内縁の夫だった故・佐々木力氏が社長を務めていた会社だ。一海氏はリンク・セオリーの社員だった。
一海氏は、国際人としての教養を身につけるため、外国で教育を受けた。スイス公文学園高等部から米ボストン大学に留学。同大学院でMBA(経営学修士)を取得した後に、アメリカの金融大手ゴールドマン・サックスに入社。投資銀行部門を経て、アメリカ、リンク・セオリーに入社。リンク・セオリーは百貨店を中心に「セオリー」ブランドを展開しているアパレル会社である。
09年7月、ファーストリテイリングがTOB(株式公開買い付け)で、リンク・セオリーを完全子会社化したことで、父親の会社、ファーストリテイリング傘下の会社の社員となった。同社の会長職には柳井正氏自身が就いており、その役職を一海氏が引き継いだことになる。
次男の康治氏は横浜市立大学を卒業後、三菱商事に入社。現在、英国に駐在している。これで長男、次男ともユニクロに入るわけだ。「(後継者の)世襲はしない」としてきた柳井氏だが、血は水よりも濃いということだろうか。
一連の人事は、後継者選びに失敗した場合の”保険”との見方もある。同社はこれまで後継者選びにことごとく失敗してきたからだ。大企業の出身者をスカウトしてきたが、次々と柳井氏の元を離れていった。
後継者候補の筆頭は伊藤忠商事出身の澤田貴司氏(54、現・野村総合研究所社外取締役)。ユニクロ・モデルと呼ばれるSPA(製造小売業)の仕組みを作り上げたのが澤田氏だ。社長就任を要請されると、これを固辞してユニクロを去った。
02年には日本IBMから玉塚元一氏(50、現ローソン副社長)を招き、社長に据えた。が、玉塚氏は3年で解任された。その理由を柳井氏は「安定成長の路線を敷いたため」と説明した。柳井氏の辞書には高度成長しかないのだ。