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織田直幸「テレビメディア、再考。」第4回

なぜテレビのデモ報道は“過小報道”になってしまうのか?(前編)

文=織田直幸
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 60~70年、最も国内デモが激しかった頃、テレビはそれらのデモとどう向き合っていたのだろうか。

「60年安保の時は、『警職法反対』【編注】というのがあって“デートもできない警職法”なんて標語にもなるほど若者の間で論議になり、民主主義に対してあれはやり過ぎではないかというムードが醸成されていたところに安保の問題が出てきた。なので、60年安保に対しては非常に大きな大衆的共感・支持があったと感じました。マスコミ内部でも60年安保については冷戦や沖縄などの問題の中での安保改定とはいかがなものかという論議があった。とにかく60年安保は非常に幅広い大衆的な支持を受けた運動だと僕は意識していました。

 ところが、70年安保の時は、学生運動も分裂して内ゲバがあるなど、60年安保とは全く違う突出した運動という風に一般には思われ、多くの人が怖がっていました。国民的な支持という点では、あまりなかった。浅間山荘事件以降は一般的な支持は決定的になくなり、大衆の支持は離れていったんです。

 60年に安保問題をテレビで取り上げないと、その局は相手にされなかったと思うんです。しかし大衆の支持がなくなった70年の大衆運動は “なるべく多くの関心がある事を世間に伝えてお金を頂く”というテレビ・新聞などのマスコミの関心の対象からはかなり離れたものになってしまい、自然とメディアは報じなくなっていった。

 この頃にはそうしたデモに関して 『それを書いたら部数が増える』『やらないと視聴率が落ちる』なんてことはたぶんないと、報道の資本側も現場取材者も本能的にわかっていたのだと思います」

 60年代と70年代でデモの質の違いはあるものの、そこに共通しているのは、テレビ局側は大衆の支持があれば報じる姿勢を持っていたという点だ。民放のデモ報道にはそうした商業的理由が背景にあったのだ。逆に言えば、大衆の支持さえあれば、デモ報道から腰が引けることはなかったということになる。が、それなら昨年から何度も数万人規模になっていた脱原発デモのテレビ報道はなぜ及び腰とも取れる報道姿勢になってしまうのか?

●マスメディアがデモ報道で“遅れ”を取る理由

 当時を知るもう一人のメディア人に話を聞いてみた。

 日本テレビ報道部で1961年~91年まで活躍された河野慎二さんはこう話す。

「当時、安保に限らず、三池闘争やエネルギー転換闘争があったし、デモはさかんに行われていたが、現場で『あれは取材するな』『これは取材するな』などという話は出てなかった。実際、取材だけではなく、番組制作についてもいろいろやっていて、ベトナム戦争が拡大していった時は、日本テレビ報道局番組制作班が『南ベトナム海兵大隊戦記』という番組を前編後編で作った。そうしたら、当時の官房長官から直接強い圧力がきたが、あの頃は組合運動がさかんで民放労連の争議も多発していたので、私たち自身も春闘をやったりストをやったりデモをやったりしながら、(官房長官からのクレームに)『佐藤内閣のこうした圧力はけしからん』と抗議をしたりしていた」

 その頃のテレビマンには、自らも国の圧力に対するデモに参加しつつ、外でのデモ取材も行っていた人が少なくなかったという。そんな河野さんは今のデモ報道をどう考えているのだろうか?

「メディアも原子力村の末端にいる。東電なんかはテレビ局にとって大スポンサーだということもある。経営サイドからすれば穏便に報じて欲しいというの(本音)はあったと思う。ただ官邸前に5〜6万人集まるようになり、市民参加が大きくなると、メディアは取り上げざるを得なくはなるが、マスメディアはどうしても半歩~一歩遅れる」

 どうしてマスメディアは遅れてしまうのだろう?

「デモなどを記者たちが『報道したくない』とは思ってないと思う。けれど、そうした大衆運動は相当大きなパワーにならないと、小さく見ようと軽視する傾向があるのが一点。もう一つは情報ルートの問題。マスコミは政府、役所、財界、団体などの記者クラブを通じて9割以上の情報を入手している。情報源がこうした形で決まっているから、市民団体などはマスメディアに情報を伝えにくい構造になっている。結果的には、デモの情報などは情報ルートに乗っからない。大手メディアの記者にとって、そこが一番の問題だと思う。ニュースは本来発掘しないといけないけれど、今の記者たちは記者クラブから出てくる情報を待つのに慣れている。これが墓穴を掘っている」

 今回の脱原発デモとテレビメディアの報道姿勢について、河野さんがどうお考えになっているかは、下記WEBにさらに詳しく掲載されている。

 http://www.masrescue9.jp/tv/kouno/kouno.html

●デモ報道を巡る普遍的ロジックとは

 二人の話から推察する限り、最も日本でデモが頻発した60~70年代は、ことさらテレビがデモ報道を忌避していたわけではなかったようだ。

 しかし、この時代でも局のトップが下記のような意見を持っていたのも事実である。
1970年安保改定の前年、TBS今道潤三会長はNHK前田義徳会長との対談で、安保とそのテレビ報道に関してこんなふうに語っている。

織田直幸

織田直幸

株式会社ゼロ社・代表取締役。プロデューサー/編集者

2012年8月、㈱カンゼンから書き下ろし小説、テレビメディアの崩壊と再生を描いたアクション小説『メディア・ディアスポラ』が上梓された

メディア・ディアスポラ

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『メディア・ディアスポラ』 織田氏しか書けないテレビメディアのリアル amazon_associate_logo.jpg

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