ビジネスジャーナル > 企業ニュース > セイコークーデター事件の舞台裏  > 2ページ目
NEW
セイコーHD名誉会長服部氏死去

セイコー“総帥”名誉会長追放クーデター事件の全内幕!みずほコーポ銀が暗躍?

【この記事のキーワード】

 禮次郎氏の覚えがめでたい彼女は、気に食わない幹部たちを次々と降格、左遷した。和光では07年の1年間だけで総務部長が7人交代、セイコークロックでは社長が08年以降延べ4人交代。セイコーHDでも07年以降、任期途中の取締役の辞任が頻発した。

 株主である労働組合は、監査役に対して監査請求を求めた。会社法の規定に基づき、監査役会は外部調査委員会を設置し、パワハラや経営実態などの調査に乗り出した。吉田良夫弁護士を委員長とする6人の弁護士で構成された外部調査委員会は150頁に及ぶ「調査報告書」をまとめ、和光におけるパワハラの実態が明らかになった。

 クーデターの成否は、真二氏を抱き込めるかにかかっていた。それまで煮え切らない態度だった真二氏は取締役会の前日に、造反の意思を固めた。後日、真二氏は「調査報告書が(判断の)決め手になった」と語っている。

 裏でクーデター劇の糸を引いていたのは、セイコーHDのメインバンクのみずほコーポレート銀行(CB)であった。みずほCBにとって、経営が悪化するセイコーHDは頭痛の種だった。実質的に“一行丸抱え”の状態で、みずほCBにとって放置できる問題ではなくなっていた。

 セイコーHDの混乱の元凶が禮次郎氏であることは、誰の目にも明らかだった。経営から退いてもらうしかない。最初に動いたのが、社外監査役として送り込まれていた元第一勧銀頭取の近藤克彦氏。クーデター劇の表舞台に立ったのは、社外取締役で元検事総長の原田明夫氏だった。社外の大物たちとタッグを組み、社内でクーデターを主導したのは、禮次郎派から解任を突きつけられていた中村吉伸専務だった。

 それから2年半後の12年9月に、政権の交代があった。服部真二氏(60)はセイコーHD社長から会長兼グループCEO(最高経営責任者)に就いた。新社長には非同族の中村吉伸氏(63)が昇格した。創業家は「君臨すれども統治せず」の存在に祭り上げられたと、社内外で受け止められた。

 13年は、国産初の腕時計ローレルの発売から100年目にあたる。その節目の年に、長年、グループの総帥であった禮次郎氏が他界した。

「SEIKO」の5文字が燦然と輝くセイコーグループを率いてきた服部家の栄光は、過去のものとなった。
(文=編集部)

BusinessJournal編集部

Business Journal

企業・業界・経済・IT・社会・政治・マネー・ヘルスライフ・キャリア・エンタメなど、さまざまな情報を独自の切り口で発信するニュースサイト

Twitter: @biz_journal

Facebook: @biz.journal.cyzo

Instagram: @businessjournal3

ニュースサイト「Business Journal」

セイコー“総帥”名誉会長追放クーデター事件の全内幕!みずほコーポ銀が暗躍?のページです。ビジネスジャーナルは、企業、の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!