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廃墟マニアの聖地・軍艦島について長崎市に直撃!【前編】

軍艦島、巨額経済効果見込める世界遺産登録への壁~保存コスト、国の文化財指定…

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軍艦島(長崎県・端島)

 政府によってユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に推薦されることが決定した「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」。その中には、長崎県の端島、通称・軍艦島が入っており、ファンならずとも注目が集まっている。果たして軍艦島は、無事、世界遺産に登録されるのか? そして登録された場合、その経済効果は?

 今回、写真家の酒井透氏が、長崎市に許可を得て軍艦島内部へと上陸。自身が撮影した珠玉の写真をピックアップしつつ、軍艦島の世界遺産登録に向けての具体的なハードルや、市の動きなどについてレポートする。

「いま再び軍艦島が熱い」というニュースをご存じだろうか?

 去る9月17日、政府は、2015年のユネスコの世界文化遺産登録に向けて「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」を推薦することを決めた。政府は、来年2月1日までに正式に推薦書をユネスコに提出する。

 この「産業革命遺産~」を構成しているのは、八幡製鉄所(北九州市)や長崎造船所(長崎市)など稼働中のものを含めた28の施設だ。

 マスコミがこのニュースに注目したのは、“富士山の世界遺産登録”の後だから、というわけではない。今回は、「産業革命遺産~」に加えて、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎県、熊本県)という2つの候補が競合し、あたかも『長崎対決』のような形となっていたからである。

 結果的に、「産業革命遺産〜」に軍配が上がり、12年に続き2度目のチャレンジをした「教会群」は再び涙をのんだわけだが、「産業革命遺産〜」の中に“廃墟好き”などサブカルクラスタからも根強いファンが多い軍艦島(長崎市・端島)が入っていたことも注目を集めるきっかけとなった。
 

●奇跡的に残された軍艦島の集合住宅群

 現在、同島の西部地域には、数多くの建築物が残されている。これらの建築物は、すでにその役目を終えているが、世界中を探しても、このような場所は見つからない。

 軍艦島は、19~20世紀にかけて海底炭鉱の島として栄え、1960年の最盛期には、5300人余りの人が暮らしていた(現在の東京都の約9倍の人口密度)。しかし、“石炭から石油へ”というエネルギー革命によって、74年に閉山されると、その後、40年近くも無人島となっていた。

 近年、軍艦島に残されている日本の近代化の黎明期を象徴する建築物などが注目を集めるようになり、熱い視線が注がれるようになった。九州を中心として軍艦島の勉強会や当地を視察するヘリテージツーリズムなども行われている。

「今年8月までの間に軍艦島を訪れた観光客は40万人を突破しました。観光上陸ツアーなどによる収入は、約65億円に上っています。もしも、15年にこの『産業革命遺産〜』が世界遺産に登録されることになれば、日本国内だけではなく、海外からも数多くの観光客がやって来ることになるでしょう。長崎市から委託を受けた『ながさき地域政策研究所』は、『産業革命遺産〜』が世界遺産登録された場合、観光客の増加は年間約20万人、経済効果が年間約101億円としています」(ある軍艦島ファン)

 だが、その一方で、15年のユネスコの世界遺産登録には、なかなかハードルも多いようだ。登録に向けての取り組みや数々のハードルについて、長崎市企画財政部世界遺産推進室に話を聞いた。

「世界文化遺産登録に向けて、まず国の文化財指定を受けることが必要となるわけですが、『端島炭鉱』としての史跡指定は、まだできていない状態です。来年のICOMOS(国際記念物遺跡会議)の現地調査まで1年くらいあるのですが、時間的に厳しいスケジュールです。最終的に文化庁が文化財指定をするのですが、それもかなりの時間がかかります。もちろん、そのための手続きは進めていくつもりです」

 今後、国の文化財指定の動向は、世界遺産登録の鍵となることであろう。また、同時に考えていかなければいけない問題として、長年放置されている建築物の整備や保存の方法がある。今年3月に行われた「端島炭坑等調査検討委員会」(建築や文化財の専門家6人で構成)では、「(軍艦島に残された)護岸や生産施設に加え、島全体のシルエットも保存することを検討する必要があるのではないか」といった議論もなされている。

●保存・整備には莫大な費用

 軍艦島の西部地域を歩くと、取り残されたままとなっている建物の数の多さに驚かされる。ひとつの建物の横には他の建物があり、それぞれが調和を持って共存しているようにも見える。軍艦島最大の魅力は、この西部地域と言ってもいいだろう。そこには、先人たちが残してきた歴史が封印されている。この地域は、一般の観光上陸では行くことのできないところだが、今回は、そこを歩くことができた。今後、これらの貴重な資産をどのように活用していくのだろうか?