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サイゾー×プラネッツ『月刊カルチャー時評』VOL.19

『あまちゃん』──13年最大のヒット作にしてクドカンの新代表作、その"凄み"と"食い足りなさ"

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「視点をクリアにする情報誌 月刊サイゾー」の記事がウェブ上で読める「サイゾーpremium」の記事から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けします。

批評家・宇野常寛が主宰するインディーズ・カルチャー誌「PLANETS」とサイゾーによる、カルチャー批評対談──。

宇野常寛[批評家]×岡室美奈子[表象・メディア論研究]

――9月28日に放映終了した朝ドラ『あまちゃん』。2013年最大のヒットとなった本作はこれから先、NHK朝ドラの金字塔としても、脚本・宮藤官九郎の代表作としても語り継がれてゆくだろう。
大フィーバーもいささか落ち着いた今、あらためて本作の凄みがどこにあったのか、振り返ってみたい。

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音楽を担当したのは大友良英。オリジナル曲も多く書き下ろされ、劇中歌のサントラ類もよく売れている。

宇野 僕は『あまちゃん』に点数をつけるとすれば、90点とか95点になると思うんですよ。穴はあるけれど、それくらいよくできた、立派な作品だと思う。クドカンの集大成とも言うべき横綱相撲を毎日楽しく観ていたのも間違いない。でも、『木更津キャッツアイ』【1】『マンハッタンラブストーリー』【2】のほうが僕には衝撃的だったのも間違いないんです。

岡室 私の中でも、クドカンのベストは『木更津キャッツアイ』なんですが、『あまちゃん』はこれまでのクドカンのさまざまな手法がぎゅっと凝縮されていて、「これで15分か」と思うほど毎日内容が詰まっているドラマでした。

 これまで、クドカンのドラマは若い人向けだといわれることもありました。私自身が50代なので、それは「違う」と言いたい気持ちもあるんですが、『あまちゃん』によって幅広い視聴者層を獲得したということは事実だと思います。

宇野 80年代以降の朝ドラは女性のロールモデルを提供してきましたが、それがどんどん機能不全に陥っていった。要するに朝ドラの視聴者層が要求する「こんな孫娘がほしい」的な欲望や、町おこし的な「いい話」と、今どきの若い女性のリアルな自己実現を両立できなくなった。で、ここ数年は『ゲゲゲの女房』【3】『カーネーション』【4】のように昔の女の一代記に物語的には回帰して、番組外のムーブメント(『ゲゲ女』)や、演出面(『カーネーション』)で冒険するようになってきた。そして今回の『あまちゃん』はこうした流れを汲みながら、朝ドラ史的に言えば、現代の女性の自己実現ものとして久々のヒット作なんです。

 ただ、ここで僕が自己実現と言っているのは、アキ(能年玲奈)ではなく春子(小泉今日子)についてです。春子は80年代にアイドルに憧れて上京したもののうまくいかず、本人が望んでいない専業主婦になり、それも挫折して地元に帰ってくる。ベタに言えば、男女雇用機会均等法以降の女性文化の行き詰まりを体現していて、建前としては「自由に自己実現を」と言われつつも、実際の就労環境は改善されていない中途半端な状態でもがかざるを得ない──その象徴が春子だったと思う。

岡室 このドラマでは「影」というのがキーワードになっていましたが、春子はまさに影の主役でしたね。彼女は歌手になりたかったのに、鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の"シャドウ"として歌を歌うわけですが【5】、そこで奪われてしまったのは春子の声ではなく身体だったと私は考えています。つまり、春子の声はレコードになって多くの人に聴かれるんだけど、春子自身の身体がおいてけぼりになって、ある意味で不可視の存在になっていく。その春子が、アキによって夏ばっぱ(宮本信子)と和解して娘であることを取り戻し、東京に戻って母であることを獲得し直し、最終的には社長にもなっている。そう考えると、北三陸を離れた春子が東京で自己実現していくストーリーとも言えるけど、それをリニアに描くのではなく、失ってしまった時間を獲得していく形で描いたのが素晴らしかった。

宇野 春子が上京する日に開通した第三セクターのローカル線は、当時は希望の象徴だったのが、今や廃線寸前まで追いつめられている。それは春子の人生そのものだし、もっと言えば失われた20年を過ごした日本全体の姿とも言える。それを回復していくのが『あまちゃん』のひとつの軸だったとすれば、そのクライマックスは鈴鹿ひろ美が「潮騒のメモリー」を歌うシーン【6】です。あのとき、鈴鹿が歌詞を変えて歌いますよね。80年代のアイドルソングを批評的にパロディしていた「潮騒のメモリー」を、上京しないアイドルとして生きていくことを肯定する歌に書き換える──そのことによって天野家3代の歴史が繋がっていく。

 ここには2つのポイントがあります。ひとつは、失われたものを回復するためには、分断されていたものを再び接続し、歴史を取り戻すことが必要だったということです。もうひとつは、そのためにはアキという全く異質な存在が必要だったということ。アキは全く成長しないし、言いたいことが次々入れ替わる、まさに"甘ちゃん"。戦後日本の普通の価値観からすれば「ミーハーで適当でだらしない」と否定されてしまうアマチュアリズムを持ったアキという特異な存在がいなければ、何も取り戻すことができなかったということです。

岡室 アキの能力の一つが逆回転力というか、失われた時間を回復する力ですからね。それに、アキは変容するし、さまざまな力を獲得するんだけども、成長とはちょっと違う。アイドルとしてもB級で、最後はお座敷列車【7】に戻っていく。『あまちゃん』は、都会のアイドルがゴールじゃないというところがすごく大事だと思います。成長神話から解放された軽やかさがある。それを象徴する素晴らしい台詞が、アキがユイに言う「ダサいぐらいなんだよ、我慢しろよ!」というもの【8】ですね。「こうあるべき」という価値観から解放されて、バラバラになっていたものを結ぶ力を発揮していく。

宇野 『あまちゃん』はすごく複雑な構成になっていて、春子は過去の主人公なんですよね。ここで過去というのは、過去の朝ドラ的であり、戦後的なドラマの主人公。それにぶつけられたアキというもう一人の主人公は、クドカンが『木更津~』や『マンハッタン~』で培ったものの延長線上にある存在といえます。具体的に言えば、アキは"なんちゃって東北人"です。生まれて初めて会う祖母は、言ってしまえばほぼ他人ですよね。そこで伝統芸能をサブカルチャーとして吸収し、「かっけー!」と言って自分も海女になっていく。彼女の中では海女もアイドルも南部ダイバー【9】もすべて等価で、その姿勢は、哀川翔も"やっさいもっさい"も同じように消費していく【10】『木更津~』の発展形と言えます。歴史から一度切断されているからこそ自分たちから自由にアプローチできるという、逆転した発想の延長線上にアキがいる。クドカンからすると、春子のような存在を回復するために、この10年間培ってきた新しい世界の予感のようなものを、アキというキャラクターを通じて総動員させることが必要だったんだと思います。

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