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吉田潮「だからテレビはやめられない」(1月6日)

坂上忍“再ブレイク”のカラクリと、テレビ界の驕り~今年再ブレイクするのは誰?

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『偽悪のすすめ 嫌われることが怖くなくなる生き方』(坂上忍/講談社)より
主要なテレビ番組はほぼすべて視聴し、「週刊新潮」などに連載を持つライター・イラストレーターの吉田潮氏が、忙しいビジネスパーソンのために、観るべきテレビ番組とその“楽しみ方”をお伝えします。

「ブレイク」ってなんだ? と思うことがしばしばある。発端はテレビ業界の横並び意識。どこかのバラエティ番組のプロデューサーが一か八かの出演者の人選で博打を打ち、たまたま数字がとれたり、ネットでの反応がよかったりすると、こぞってどの局もそのタレントを使い始める。結果、ブレイクという一時的現象が起こるワケだ。林修先生だって、ふなっしーだって、ローラだのアリーだのダレノガレだの、みんなそう。

 ただ、「再ブレイク」という言い方は「テレビ界の驕り」だなと思う。「ちやほや&ごますり」から手のひらを返すように「トーンダウン&干す」。「あいつを見いだしたのは俺」なんてテレビマンの武勇伝が聞こえてきそうだ。一気に稼がせておいて、陰りが見えたらすぐ廃棄というやり方だ。

 再ブレイクといわれる芸能人は、この「手のひら返し」を痛いほどわかっている。だからこそ冷静で、淡々と仕事をこなす。その姿勢が視聴者の目には「潔い」とか「苦労人」とか「本当はいい人」と映る。どんなに毒舌でも「善人フィルター」にかけられる。視聴者なんて単純だし、忘れるのも早いし、「性善説」が大好きだから。

 そんな再ブレイクしたといわれる芸能人の昨年の代表例が坂上忍。坂上といえば、私が強烈に覚えているのは、主演ドラマ『中卒・東大一直線 もう高校はいらない!』(TBS系/1984年放送)だった。当時主流だった管理教育に疑問を感じ、超イヤミな中学校教師(長塚京三)に盾突き、高校へ行かずに大検をとる、という役だった。「アンチ体制・学校くそくらえ」のマインドに坂上はぴったりだった(ちなみに塾を経営する父親役は菅原文太)。私の中での坂上の印象は、すでに「斜に構えたアウトサイダー」だった。

 ブスが大嫌いで、潔癖症で、ギャンブル狂。その発言は「嫌われないよう、ブログが炎上しないよう、好感度を下げないよう空気を読む」芸能界においては異色の存在に映った。テイのいいことしか言わないお笑い芸人や、毒にも薬にもならないことしか言わないタレントの中で、際立って「正直者」に映った。再ブレイクに分類されるようだけれど、この人はずっと芸能活動を続けていたし、干されたり、転落はしていない。2時間モノのドラマにも出ていたし。再ブレイクと聞いて、本人がいちばん鼻で笑っていることだろう。

●繰り返されるテレビのやり口

 こぞって各局の情報・バラエティ班が食いつき、あっという間に消費されていく。コレの繰り返しである。そう、これがテレビであり、メディアのやり口でもある。ついでに言えば、視聴者や世論だってそうだ。たとえ覚せい剤所持で逃げて捕まっても、いつの間にか芸能生活を開始して、悲劇の人になりうるのだから。「時薬」とも言うけれど、時間の経過は善も悪も忘れさせる。世の中で一番怖いのは「空気」だと痛感するのである。

 では今年、「再ブレイク」となるのは誰なのか。

 美元とか若山騎一郎とか仁美凌(そもそも騒動先行で、ご本人たちは芸能界でブレイクしていないけれど)とか? 矢口真里とか飛鳥涼とか楽しんごとかみのもんたとか猪瀬直樹とか? 押尾学と千野志麻はさすがに厳しいと思うけれど。忘れた頃に必ずメディアが取り上げるだろうから、それを取り巻く空気の変化をじっくり比べてみると面白いだろう。ゲスい暴露話をひっさげて、ぜひ再ブレイクの道へ。

 欲しいのはそこですから。そこ以外の何物でもありませんから。
(文=吉田潮/ライター・イラストレーター)

●吉田潮(よしだ・うしお):
ライター・イラストレーター。法政大学卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。「週刊新潮」(新潮社)、「ラブピースクラブ」(ラブピースクラブ)などで連載中。主な著書に『2人で愉しむ新・大人の悦楽』(ナガオカ文庫)、『気持ちいいこと。』(宝島社)、『幸せな離婚』(生活文化出版)など。カラオケの十八番は、りりぃの「私は泣いています」、金井克子の「他人の関係」(淫らなフリつき)など。