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現代医療が学ぶべき精神疾患治療【1】

江戸時代のお寺は精神病院だった!? 薬に頼らざる「宗教的」精神疾患治療

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「視点をクリアにする情報誌 月刊サイゾー」の記事がウェブ上で読める「サイゾーpremium」の記事から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けします。

──古くから、京都にはあるお寺を中心として、脈々と精神病患者を受け入れてきた歴史、そして場所がある。盆地という独特の土地を利用し、相互扶助が行われていた。日本全国に存在したとされるそのような寺社の成り立ちをひもときながら、現在の精神医療が学べるものを考察していきたい。

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江戸時代の昔から、お寺は精神病院の役割を果たしていた。

 今回の宗教特集とは異なる話題から始めよう。

 2013年10月、厚生労働省からある指針が発表された。それは厚労省研究班が公開した、抗精神病薬の減薬指針である。抗精神病薬とは、統合失調症などの精神疾患に使われる薬のこと。従来より、日本では精神病患者には多種類の薬が処方される多剤大量処方が広く行われてきた歴史があり、国立精神・神経医療センターの調査では、統合失調症の入院患者の42%が3種類以上の抗精神病薬を与えられ、1種類の投薬のみの患者の割合は30~40%にとどまっている。これは諸外国と比べても非常に高い数字で、多剤大量処方による副作用の弊害などが従来から取り沙汰されてきた。

 そこで今回発表された厚労省の指針では、日本で販売されている41種類の抗精神病薬を一覧表にし、週あたりの投薬をどの程度減らすことができるかを明示。財政に重くのしかかる医療費の削減という本音もあるだろうが、つまるところ、投薬の種類を減らし、最終的には1種類にすることを目的とした格好だ。

 このような動きは、日本の精神医療の長年の慣習だった多剤大量処方の方向性を改めようとすると同時に、ここ半世紀、薬物治療中心で行われてきた精神科医療がひとつの曲がり角に来ようとしていることを示しているのだろう。

 最初の抗精神病薬ともいえるクロルプロマジンが、フランスで発見されたのは1952年。これにより、拘束衣などを使わなくても薬で患者を沈静化することが可能になり、精神病院内が一気に静かになった……とも言われるが、その後の精神科医療はあまりにも薬に頼りすぎていたのではないだろうか。薬を処方し、調整するだけで、主治医と患者の対話も不十分な医療機関は、今でも珍しくない。

 ところで、そもそも精神疾患は、抗精神病薬や精神病院が登場するはるか以前から存在していたのである。そのような時代に精神病患者を受け止めていたのは、どのような場所だったのだろうか? いささか前置きが長くなったが、精神疾患と"宗教"は密接に関わっていたのだ。

 13年に他界した精神科医で筑波大学・国際医療福祉大学名誉教授の小田晋氏は、日本の古典文学を詳細に研究し、古代・中世における日本の狂気の形を分析した著作でも知られている。そのひとつ『日本の狂気誌』(講談社学術文庫)では、『源氏物語』を材料に、次のような分析を施している。

 源氏の年上の恋人、六条御息所(ろくじょうみやすどころ)は、源氏への募る想いと、源氏の正妻、葵の上への嫉妬のあまり、生霊としてさまようことになる。うたた寝をしている間にも、自分の意識が身体を抜け出て、葵の上のところに赴き、相手を押し倒してうち叩いたりする自分の姿をありありと目にするようになるのである。これに対し、小田氏は以下のように記述する。

「この場合、六条御息所の体験しているものは、今日的解釈からは心因性の人格分裂による例外状態といえることに異論はあるまい。この第二人格(生霊)が本妻(葵)のところに出現して現実に相手を苦しめる、というのはもちろんフィクションの便利なところであるが、妊娠中毒症とか子癇、または産褥精神病で苦悩している本妻に祈祷の影響が加わったとき、内心気が咎めていたり、その怨恨を怖れていた相手の幻覚が出現する、あるいは憑依の状態が起きるというのは、今日でも狐憑きや犬神憑きなど、多くのモノ憑き状態の発病機能としてごく自然のことなのである」

『源氏物語』はフィクションであるが、実際にはさまざまな人物をモデルにしているとされ、六条御息所の生霊の話も、何かしらのリアリティを有していたものだと思われる。小田氏は同書で平安時代の説話集『日本霊異記』からも、狂気をめぐる多くのエピソードを採取しており、このことからも中世の日本人にとって狂気がありふれたものであったことがわかる。また、史実を見ても、奈良の大仏の建立で有名な聖武天皇の母親の藤原宮子は、のちの聖武天皇を出産してすぐ心的障害に陥って部屋に引きこもり、36年間息子と会うことがなかったなど、なんらかの精神疾患にあったと思われる。かねてより狂気(≒精神疾患)とは日本人の生きる場所の中で、身近に存在していたのである。

 それでは精神病院のない時代、このように精神疾患に陥った人の受け皿はどこにあったのだろうか? その代表的な場所こそが、お寺や神社などといった宗教的な場所だったのだ。小田氏は前掲書の中で、このように書いている。

「狭義の狂気・乱心であって、すでに近世社会のなかでの家族ないし地域共同体が抱えてゆけなくなった場合の解決策はどうであったか。それはひとつには宗教がらみの方法であった。『寺院弟子』として寺院に預けるという方法が、てんかん患者の場合にもとられたことがあり、これは、『百箇条調書』(徳川幕府編纂)が伝えるところである。やはり宗教がらみで、神社、仏閣、そのなかを中心に、狂気・乱心の者が集団的に集まり、治療を受けるという形態もあった。江戸から明治初期にかけては、狂気に対して霊験があらたかであるとされた寺社仏閣が各地方にあり、禁呪や誦経のほか、滝に打たれるか、ぬるい温泉に入るという形で、一種の水治療法を行っていた。これらは真言宗、日蓮宗に多く、神道がこれに次ぎ、曹洞宗にもみられたが、呪術をもたない浄土真宗の寺院にはみられなかった」

 現在でいう精神疾患を患った人の受け皿としての機能も果たしていたお寺や神社。宗教的価値観にも裏打ちされたそのような場での精神病患者の受け入れの在り方から、機能不全に陥りかけた現代の精神医療が学べる要素があるのかもしれない。次はそのような観点から、お寺、神社と精神病をめぐるストーリーをひもといてみたい。

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