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吉田潮「だからテレビはやめられない」(5月31日)

毎週“MOZUれる”幸福?暴力、狂気、喫煙…タブーを超越し、迎合を排したドラマの格

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『MOZU Season1~百舌の叫ぶ夜~』公式サイト(「TBS HP」より)
 主要なテレビ番組はほぼすべて視聴し、「週刊新潮」などに連載を持つライター・イラストレーターの吉田潮氏が、忙しいビジネスパーソンのために、観るべきテレビ番組とその“楽しみ方”をお伝えします。

 とにかく格が違う。世の中の風潮や空気に一切迎合せず、迫力のある映像にするための努力と労力と金を惜しまず、洗練と凶悪を同居させた今クール(4~6月期)の連続テレビドラマが『MOZU Season1~百舌の叫ぶ夜~』(TBS系)である。当初、西島秀俊と香川照之のやさぐれテイストをメインに期待していたのだが、うっかり感動(というか驚愕)してしまったのは、池松壮亮と吉田鋼太郎の理不尽な凶暴さだった。

 実は暴力的なシーンはあまり好きではない。怖いし、痛そうだし、声には出さずとも目をきゅっとつぶってしまうほうである。ホラーやスプラッター、心霊モノなどは極力避けて通ってきたクチだ。廃墟となった病院で、池松がナース服を着て次々と人を殺していくシーンは、正直、手と脇の下にイヤな汗をかいた。正気を失った黒目コンタクトも、アイスピックを持った未完成な女装もマジで怖い。サイコ映画に登場するレベルだった。

 対する吉田も吉田で往生際が悪く、「ヒャッホーイ!!」と叫びながら命を奪い合おうとする狂気といったら、もう! 昨今のドラマではなかなかお目にかかれない殺生シーンで、制作側の気合と屈強な精神をひしひしと感じた。池松と吉田の動きも、見せかけのアクションにとどまらず、アドレナリン全開で殺気を醸し出す迫力。観ていてじわーっと心拍数が上がったほど、壮絶であった。

 暴力シーンや喫煙シーンにいちゃもんつける人(現実とフィクションの差もわからない了見の狭い人々)も大勢いるが、イヤならテレビの電源切れば済む話。北野武映画のように単純な暴力ではなく、それを育んだ背景と環境、内在する狂気を描いているわけだし、暴力を手放しで礼賛する内容でもない。これくらい、他と差別化を図り、テレビドラマ界を盛り上げてくれる作品はそうそうない。先陣を切ってタブー(実際にはタブーじゃなくて、ただの自粛と萎縮なんだけど)を超越する姿勢はおおいに評価すべきだ。

 これまでのところ、私の印象では主役は完全に池松だが、西島や香川の家族背景や弱みも丁寧に描かれたりしている。「きなくささ」だけでなく「人間くささ」もきちんと追求していた。長ったらしいセリフはあまりなく、最小限のフレーズに「その人となり」が表れるよう配慮されているようにも思える。役者の実力なのか、脚本演出の妙なのか。1時間を1時間と感じさせない構成にも感心する。嗚呼、完全に「MOZUラー」である。

 バカでもわかるエンタメ感よりも胸糞悪さ、万人ウケ狙いよりも芸術性重視。唯我独尊、孤高のドラマで手放し絶賛なのだが、ひとつだけ問題が。続編がWOWOWでの放送ってところだ。我が家はWOWOWに加入していない。それどころかBSすら観られない。契約すればいいって話なんだけど、その壁を乗り越えられずにいる。NHK以外はタダで観られるからこそ、感謝もするワケで。

 もちろん、かなり前からWOWOWドラマは良質だと聞いている。こっちにハマると民放ドラマなんて見ちゃおれん、という人もいる。払うだけの価値はあるのだが、金を払っているという驕りが何かを失わせてしまうような気もする。「知らない幸せ」と「知ってしまったがための不幸」なんてこともついつい考えてしまうのだ。ま、今後はさておき。今は目の前にある至福の時を味わおう。毎週タダで“MOZUれる”ことに感謝しよう。

●吉田潮(よしだ・うしお):
ライター・イラストレーター。法政大学卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。「週刊新潮」(新潮社)、「ラブピースクラブ」(ラブピースクラブ)などで連載中。主な著書に『2人で愉しむ新・大人の悦楽』(ナガオカ文庫)、『気持ちいいこと。』(宝島社)、『幸せな離婚』(生活文化出版)など。カラオケの十八番は、りりぃの「私は泣いています」、金井克子の「他人の関係」(淫らなフリつき)など。