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坂口孝則「ダマされないための“儲けのカラクリ”」 第30回

明石家さんま、“真面目な実務家”は、なぜトップに君臨し続けられる?語録から読み解く

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明石家さんま(「本人」<vol.11/太田出版>より)
 さまざまなテレビ番組や雑誌などでもお馴染みの購買/調達コンサルタント・坂口孝則。いま、大手中小問わず企業から引く手あまたのコスト削減のプロが、アイドル、牛丼から最新の企業動向まで、硬軟問わずあの「儲けのカラクリ」を暴露! そこにはある共通点が見えてくる!?

 1955年7月生まれの59歳。十代でデビューしテレビの最前線でトップの座に君臨し続け、そのパワーは衰えを知らないどころか増し続けている。数多くの芸能人が、他の領域へ活動の軸足を移していくにもかかわらず、ずっとお笑いの現場にいる稀有な人。それが明石家さんまさんだ。

 さんまさんについては、ゴシップ記事や芸人仲間による裏話などがあふれている。例えば、ナインティナインの岡村隆史さんは、さんまさんの番組に出てコメントをトチった時、「なんやそれ? 俺の番組、潰す気か?」と言われた経験を回願している。ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんらも同様の思い出を披露しているが、それは恐らく番組司会者としてお笑いへの責任の表れだったに違いない。

 個人的な経験でいうと、筆者はさんまさんが司会を務める『ホンマでっか!? TV』(フジテレビ系)に2回ほど出演したことがあり、さんまさんの妙技に驚愕した。ほとんどぶっつけ本番で颯爽とスタジオ入りして、すぐさま雰囲気をつくり、観客や出演者とスタッフを魅了するすごさ。自らが話しながら、0.1秒単位でのアイコンタクトを送り、とっさの判断で誰に振るべきかを決める運動神経。専門家に話させるところは話をさせる一方で笑いを取るところは外さず、スタジオ中を歩きまわっては、その一つひとつのリアクションが洗練され、それでいて意外性のあるコメントを乱射し、予定調和的ではない爆笑が生まれる。

 フロアディレクターの「いただきました」との声で、颯爽とスタジオをあとにするさんまさん。その後、なぜかさんまさんの空気が、その場を支配するのだ。きわめて特別な、そして不思議な感覚だった。

●あまり語ってこなかった自己像

 筆者は、さんまさんが自身やお笑いについて語った記事を収集している。しかし、さんまさんの性格によるものか、あるいは事務所の方針かはわからないものの、インタビューや自著はきわめて少ない。毎日のようにテレビでさんまさんを見て、そして小学生のころファミリーコンピュータで『さんまの名探偵』にふけっていた私からすると、全メディアの中で活字メディアへの露出のみが少ないのは意外な気がした。活字メディアでは、プロインタビュアー・吉田豪さんが「本人」(vol.11/太田出版)でロングインタビューを試みている以外は、断片的なものしかないし、自著も絶版になっている『ビッグな気分』(集英社)や『こんな男でよかったら』(ニッポン放送出版)があるくらいだ。

 プロレスラーのペドロ・モラレスに憧れた小学生時代、顔を殴られるからと格闘家をやめたあとに杉本高文青年が目指したのは芸人だった。テレビに出てきた演芸人に勝てると思ったのがきっかけだったという。悪いことをしても新聞に載りたいとすら思っていた高校3年生の2学期、落語家・笑福亭松之助師匠の門をたたく。その理由を訊かれると「そら師匠、センスありますねん」と答えたという(『ビッグな気分』より)。

 そしてデビュー後、すぐさま人気が出たさんまさんは、二十代前半で週刊誌に「日本一忙しい男」と書かれるに至り、さらにテレビ番組『MBSヤングタウン』(毎日放送)において、桂三枝(現桂文枝)さんがメイン司会を担当する土曜日に起用され、さらに快進撃が始まるのが1979年のことだ。その名前は全国区にとどろき始め、81年放送開始の『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)が決定打となる。それ以降は説明の必要もないくらいテレビを代表する芸能人、いや、お笑い芸人となった。