NEW

特殊モデルとデフレカルチャーの経済学 特殊な基準の混合と微細美、経済発展をもらす?

【この記事のキーワード】

, ,

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
七菜乃(撮影=山本宏樹)

 舞山秀一、村田兼一、伴田良輔ら、日本を代表する名だたるカメラマンが賞賛し、その作品に頻繁に登場している新しいミューズがいる。七菜乃(なななの)――「特殊モデル」と自称する彼女の活動は実に多彩だ。緊縛動画、フェチフェス、ローブル、そして花蟲とのコラボでの歌唱など。七菜乃の活躍は、アングラと称される領域に深く関わっている。作品の多くに共通するのは、「哀しい」と「かわいい」の交差する瞬間、それは微細でこの世に一瞬でも現れることが難しいような儚い美を表現していることだ。


 また、彼女はTwitter、Facebook、ブログなどのソーシャルネットワーキングサービス(SNS)を積極的に活用し、芸能事務所に所属せずにセルフマネジメントだけで活動していることも特徴だ。七菜乃のしなやかで気品すら香る「女体」のファンには、女性も多い。筆者が七菜乃を知ったのは、そんな女性ファンの一人から教えてもらったことがきっかけだ。そしてたちまち魅了された。

 最近、週刊誌などでは七菜乃を「謎の美女」と形容することがある。確かにその多面的な表現力は「謎」めいたものを生み出すのに十分だ。彼女の名前を写真モデルの世界で高めた「7人の七菜乃展」(今年3月開催)では、上野勇、田口まき、武井裕之、伴田良輔、舞山秀一、増田ぴろよ、村田兼一の7人の写真家たちが、個性的で、まったく異なるイメージの世界を構築していた。単に七菜乃の被写体としてのユニークさだけではない。それぞれの作品は独特で個性的でありながら、7つのイメージすべてを総合する「何か」がまるでつかめない。その総体としてのつかみどころのなさが、「謎の美女」という誰でも安心できるレトリックを生み出すのだろう。だが、七菜乃の美しさ、彼女の作品にふれる快楽は、「特殊なもの」ひとつひとつにこそ宿っている。


●美を感受できる洗練さは、社会発展をもたらす


 経済学の歴史で、「特殊なもの」つまりは、細部の異なるものへの感受性を経済学の対象にしたのは、18世紀の啓蒙思想家ディビッド・ヒュームが最初であった。いや、今に至るまでヒュームを超えて「特殊なもの=細部の相違」を本格的に論じた経済学者はいない。ヒュームは、この「特殊なもの=細部の相違」を見分ける技術(アート)が洗練さを加えていけばいくほどに社会は発展していくと考えた。特殊なものが生み出す美を感受できる洗練さは、より高度で繊細な財やサービスの生産活動を活発にし、知的な探究心を刺激し、人と人との交際を深め、なによりも女性への敬意を生み出していくだろう。ヒュームにあっては、女性への優しい言動や礼儀正しい振る舞いは、人間の洗練された精神活動の頂点に位置する行為だった。

 特殊モデルと名乗る七菜乃は、ヒュームの細部の経済学の化身のようだ。彼女がしばしば登場する、フェチフェス。年に複数回開催され、さまざまなフェチを展覧し、またパフォーマンスを繰り広げている興味深いイベントだ。彼女はそのイベント「フェチフェス2.5(13年開催)で武井裕之と組んで、ゴットフリート・ヘルンヴァインばりの写真(屍蝋と化したかのような純白の七菜乃の肢体から噴き出る鮮血)を展示。本人もセーラー服に、頭部と右目とを包帯で巻いたコスプレで登場した。「傷」や「包帯少女」というフェチ=細部への快楽的執着、特異なものへの美的感覚。それが彼女の特殊モデルの特殊たるゆえんだろう。