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ヘイトスピーチ規制、なぜ難しい?曖昧な規制基準、公権力がお墨付きを与える危険も

文=大石泰彦/青山学院大学法学部教授
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ヘイトスピーチ規制、なぜ難しい?曖昧な規制基準、公権力がお墨付きを与える危険もの画像1ヘイトスピーチ・デモの様子
 8月29日、国連の人種差別撤廃委員会は日本に対し「勧告」を発し、ヘイトスピーチ(憎悪表現)・デモを行う者を処罰できるようにするとともに、インターネットやメディアにおけるこの種の表現に対しても適切な措置を取るように求めた。東京・新大久保や大阪・鶴橋をはじめ各地で行われてきたヘイトスピーチ・デモの現状を知る者にとっては当然の内容であり、今後はこの勧告に沿った法整備を着実に進めていくべきだろう。

 ヘイトスピーチ・デモの現場を取材すると、隣国の民族や国民に対して「死ね」「皆殺し」などと叫ぶ団体が公権力のお墨付きを得て、警察に守られつつ白昼堂々とデモを打っているようにみえる。そして、隣国に対して嘲弄的な大見出しを付けた新聞や雑誌がキオスクの最前列に置かれ、それらを一般の人々が電車の中で娯楽として読んでいる光景には強い違和感を覚えるし、数年後にはこの街でオリンピックが開かれると考えると困惑してしまう。法の力を使ってでも、この事態を鎮静化させ、正常な状態を取り戻してほしいと思ってしまうのは筆者だけではないだろう。

 だが、ヘイトスピーチ規制は、そう簡単に実現できるようなたやすいテーマではない。それは「表現の自由」の観点から見た場合、単に今ある制度の強化・改正ではなく、これまで日本にはなかった「まったく新しい規制」を設けることだからである。

 8月28日に開かれた自民党の「ヘイトスピーチ対策プロジェクトチーム」で、高市早苗政調会長(当時)が、国会周辺のデモ・街宣とヘイトスピーチを混同しているようにも受け止められる発言を行い批判を浴びたが、為政者が表現の自由に対する「形式規制」であるデモ規制と、基本的に「内容規制」であるヘイトスピーチ規制の区別すらわきまえていないような「素朴すぎる」状態では、先が思いやられるというのが正直な感想である。

●曖昧な規制対象と線引き

 実際、本気でヘイトスピーチを規制しようとすると、そもそも規制すべき「ヘイト」とは何かですら、実は曖昧であることがわかる。「朝鮮人は半島に帰れ」というのがヘイトだとして、「アメリカ軍は沖縄から出ていけ」というのはヘイトではないのか。両者はどのように違うのか、両者の間にどのような線引きを行うのか。また、「殺せ」「皆殺し」などの過激な表現だけを法規制するとした場合、そのような言葉を慎重かつ狡猾に回避したデモが「公権力のお墨付きを得た」と称して、かえって公然と行われることにならないか。

 あるいは、極端な排外主義者が街の片隅でデモを行うことより、大手の出版社や新聞社が毎日のように大量の「嫌韓」「嫌中」情報を発信し、それを一般の人々が溜飲を下げて読んでいることのほうにむしろ問題があるのではないか、等々の論点をクリアして、われわれは規制対象とすべき表現を明確に画定することができるだろうか。

●比較的安全で賢明な対処法とは

 それだけではない。ヘイト規制法制定・運用の任にあたる為政者の顔ぶれはどうか。政権トップの安倍晋三首相自らが、自分に不都合な人物には簡単に「左翼」のレッテルを貼り、それを「恥ずかしい大人」として切り捨ててしまうような“乱暴な”人物である(2013年6月、東京・渋谷での演説)。また、麻生太郎財務相は、特定秘密保護法の制定にあたって「ナチスの手口に学んだら」と言ってのけた“とてつもない”人間であり(同年7月)、さらに首相の対抗馬と目される石破茂前与党幹事長(現・地方創生相)も、ブログで「デモ」を「テロ」呼ばわりするような思想の持ち主である(同年11月)。

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