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タカタ、リコール問題を拡大させる異常な体質的欠陥 逃げ続ける経営トップ、米国の謀略説

文=編集部
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 ホンダの新しいエアバッグシステム事業を主導した本田技術研究所の開発担当者だった小林三郎氏から重一郎氏は、「丈夫な織物を使用したエアバッグをつくれないか」と打診された。当初は「そんな危ない橋は渡れない」と断ったが、最終的に重一郎氏は「危ない橋」を渡ることを決意し、87年12月にエアバッグの製造を始めた。

 タカタのエアバッグは多くの自動車に標準装備されており、05年6月、自動車安全への貢献を認められ、米NHTSAの特別功労賞を部品メーカーとして初めて受賞した。14年3月期の連結売上高5569億円のうち39%がエアバッグ、32%がシートベルトの売り上げだ。小さな織物工場は、世界第2位の自動車安全部品メーカーに急成長した。

 タカタは06年11月に東京証券取引所へ上場したが、典型的な同族会社だ。上場に備えて04年、旧タカタを会社分割して分社化した。エアバッグ、シートベルト、チャイルドシートを製造する事業は、旧タカタの100%子会社であるタカタ事業企画が吸収合併して、社名をタカタに変更。旧タカタには不動産事業部門が残り、社名をTKJに変更した。TKJが事業会社・新タカタの親会社となった。上場したのは新タカタである。

 現在、TKJが52.1%を保有するタカタの筆頭株主で、タカタ会長の重久氏と母親の暁子氏(重一郎氏の妻)の保有分を加えると合計57.1%に達する。TKJには重久氏と弟の弘久氏、暁子氏が役員に名を連ねている。なお、ホンダはタカタ株式の1.2%を保有する第10位の株主だ。

 重久氏は88年に慶應義塾大学理工学部卒業、旧タカタに入社。04年、新タカタの専務となり、07年6月、父親の重一郎氏の後を継いで3代目の社長に就いた。11年に重一郎氏が亡くなり、重久氏が名実ともにトップになった。だが09年に起きたエアバッグの一連の事故で2人が死亡。リコールの結果、タカタは13年3月期に特別損失を計上して211億円の最終赤字に転落した。13年6月の株主総会で創業以来の同族経営を転換し、ステファン・ストッカー氏を社長兼最高執行責任者に迎えた。この時も会長兼CEOに就いた重久氏がリコール問題の解決に専念するものと思われたが、一切表に出ず、かえって傷口を広げる結果となった。トヨタの米国リコール問題をまったく教訓にしていなかったことになる。

●リコール問題対応で信頼を勝ち取った、豊田トヨタ社長

 10年2月24日、トヨタの大規模リコール問題で、米議会下院の政府改革委員会が開いた公聴会に豊田章男社長が出席を求められた。豊田氏は社長就任直後から空前の規模のリコール騒動に巻き込まれた。09年8月に米国でトヨタ車を運転中に発生した急加速事故から、米下院の公聴会に豊田社長が招致されるまでの半年間で、トヨタグループの年間生産台数に匹敵する1000万台がリコールの対象車となった。

BusinessJournal編集部

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