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“理想的な最期”を阻む延命治療……自分や身近な人の「最期」をどう考えるべきか

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※画像:『人間の死に方』(久坂部羊/著、幻冬舎/刊)

 どんな人にも、いつかは必ず訪れること。それは「死」だ。親をどのように看取るか。そして、自分の最期はどうなるのか。どうしたいのか。できれば平穏な最後を迎えたいと思うのが、多くの人が望む死に方だろう。

 日本人の死因で一番に挙がるのが「がん」。他には、年齢にもよるが、自殺、心疾患、不慮の事故などが死因順位の上位を占める。日本人の40代~80代は「がん」で死亡する確率が高いのが現状であり、誰にとっても他人ごとではない。

 そういった状況のなか、自分や身近な人の最期を考えさせられるのが本書『人間の死に方』(久坂部羊/著、幻冬舎/刊)だ。久坂部氏の87歳で亡くなった父は元医師。だが、医療否定主義者だったという。不摂生ぶりも医者の不養生の限度を超えていた。前立腺がんになっても「これで長生きせんですむ!」と叫び治療を拒否。こんなふうに医学常識を無視し自由奔放に暮らした久坂部氏の父が寝たきりになって1年数カ月、医療や介護への久坂部氏自身の常識が次々と覆ったと語る。

 久坂部氏が父から教わった医療の無力さと死への考え方を本書では紹介する。

 誰しも、平穏な最後を望んでいるのに、実際にはなかなかそうなるものではない。長生きし、住み慣れた我が家で家族に囲まれ、痛みも苦しみもなく、眠るように息を引き取る。そんな理想的な最期を阻むものは何か。

 著者の久坂部氏は、それはやはり、よけいな医療だと語る。どんな薬でも、身体に反応する力がなければ効果はない。いくら強力な昇圧剤を注射しても、心臓がへたっていれば血圧は上がらない。つまり、身体が死に向かっているときは、どんな薬も無効ということだとつづる。

 それでも、多くの人が最後の最後まで治療を求める。それは治療すれば、わずかでも死を遅らせることができると思うから。さまざまな延命治療が可能になったおかげで、死を引き延ばすことはできるようになったが、延びた命は、たいていは見るも無残な器械と薬に生かされる非人間的なものになってしまう。そう指摘する。

 では、そんな治療を誰が求めるのか。それは、たいていの場合が家族だ。死に瀕している人の苦しみは、経験しなければわからない。それをなまじ有効な治療で引き延ばすのは、酷なことだと訴える。ほんとうに死にゆく相手のことを思うなら、本人の望むとおりにしてあげるべきではないか。

 久坂部氏の父のように無理をせず、あるがままを受け入れれば、だれでも安らかな気持ちになれる。多くを望まなければ、平穏な死は難しくはないのだというのが、久坂部氏の考えだ。

 「死」について考えると、恐くなってしまうもの。しかし、年齢を重ねていくと、祖父母、両親、そして自分や配偶者、もしくは子ども…どんなに健康な人でも、時の流れと共に身近な人の死に直面していくことは避けられないし、不慮の事故や病気を患う可能性もある。

 そういった自然の摂理のなかで、「死」をどのように迎えたいのか。考え方は人それぞれだが、久坂部氏の考える死、父の貫き通した最期を通して、「死」と向き合う時間を作ってみてはどうだろうか。
(新刊JP編集部)

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※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。