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牧田幸裕「得点力を上げるための思考再構築」

大塚家具の確執劇は、大変贅沢な悩みである 企業の3分の2が後継者不在に悩み

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大塚家具ショールーム(「Wikipedia」より/Itasan)
 2月最終週から3月第1週にかけて、テレビや新聞、ビジネス誌などで大塚家具創業者の大塚勝久会長と、その娘・久美子社長との確執劇を見ない日はなかった。それぞれには言い分があり、メディアとしても議論しやすく取り上げやすいネタだし、視聴者や読者から人気があるのもよくわかる。しかし、このような創業社長と2代目社長の確執劇は、大塚家具にとどまるものではなく、実はいろいろな企業で見ることができる。

 みずほフィナンシャルグループ、明治安田生命保険、損害保険ジャパン日本興亜、東京海上ホールディングスなどそうそうたる企業の出自は、旧安田財閥である。その創業者である安田善次郎氏は1909年に一線を退き、娘婿である安田善三郎氏(ジョン・レノンの妻、オノ・ヨーコの祖父)へ経営権を譲った。善次郎氏は事業ポートフォリオを金融事業へ集中させていたが、善三郎氏は産業部門へそれを拡大しようと考えた。当初、産業部門への進出を認めていた善次郎氏だが、善三郎氏はなかなか結果を出せない。

 善次郎氏は家督を善三郎氏に譲りはしたものの、事業経営の実権を把握し続けていた。そして娘婿である善三郎氏はそれに口を挟むことができず、自由な経営を阻害されていた。この善次郎氏と善三郎氏の確執は、大正期に入り、さらに激しくなる。日本鋼管に対する支配権の強化をめぐり激しく対立した結果、善三郎氏は安田家を去ることになった。

 安田財閥がもともと得意分野であった金融事業に集中したのは、リスク・マネジメントの観点からはよかったのかもしれない。しかし、産業部門への進出をあきらめたため、日本の四大財閥(三井、三菱、住友、安田)の中で他の三大財閥と比較して、大正期以降、事業拡大では大きく後れを取ることになってしまった。

 創業者の強大な権力と、二代目の事業ポートフォリオの転換、そして結果を出せないとすぐに創業者が口を出してくる――。まさに現在の大塚家具と同じような状況である。

 筆者は家具業界に詳しいわけではないので、久美子社長と勝久会長のどちらの言い分が正しいかは判断しかねる。既存事業領域にとどまれば、旧安田財閥のようにライバルと比較して頭打ちになるのは避けられないだろうし、仮に新規事業領域に進んでいっても、ライバルと伍して戦えるかどうかはわからない。ただし、新規事業領域に進んで少々失敗したからといってすぐに創業者が口を挟むのでは、その企業に成長はない。

●日清食品の成功事例


 カリスマ創業者に挑みながらも事業を拡大しているのが、日清食品ホールディングス代表取締役社長の安藤宏基氏だ。日清食品も創業社長と二代目以降の息子たちとの確執が激しかった。創業者は、チキンラーメン、カップヌードルの生みの親、安藤百福氏。1981年に社長の座を長男の宏寿氏に譲ったが、経営方針の違いからわずか2年で社長に復帰。そして、現社長の次男、宏基氏が85年、社長に就任した。宏基氏の打ち出した有名なスローガンが「打倒!カップヌードル」だ。宏基氏はカップヌードルやどん兵衛、焼そばU・F・Oなどのビッグ・ブランドに安住する企業には成長も未来もないと考え、このようなスローガンを打ち出したわけだ。その結果、ラ王やSpa王など、既存のビッグ・ブランドに負けず劣らず、ヒット商品を出すことができた。