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ソニー創業家・盛田家の没落と信用失墜 長男の事業ことごとく失敗で巨額損失

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『MADE IN JAPAN』(朝日新聞社/盛田昭夫)
 井深大氏と盛田昭夫氏。敗戦直後、東京・日本橋の白木屋3階で2人が手を携えてつくった東京通信工業(現ソニー)は、日本の戦後復興を上回るスピードで「世界のソニー」への道を駆け上がっていった。

 その故盛田氏の妻、良子氏が3月14日死去した。享年85歳。ソニーの古手役員やOBたちの間では「ミセス」が通り名だった。1982年から95年まで社長を務めた大賀典雄氏は、しばしば良子氏の呼び出しで東京・青葉台の盛田邸を訪れた。良子氏に詰問され不機嫌になって本社に帰ってきた大賀氏を、何人もの社員が目撃している。

 95年に社長に就いた出井伸之氏は、良子氏の覚えがめでたかった。欧州に留学していた盛田氏の長男と長女の面倒を見たことから、盛田家と家族ぐるみの付き合いに発展した。盛田氏の長男の妻は、出井氏の従兄弟の娘である。血のつながりはないが、出井氏は盛田ファミリーの一員と見なされ、「盛田家の家庭教師」と言ってはばからないソニー幹部も多かった。出井氏が社長に就いたのは、良子氏の強い意向が働いた結果だといわれている。05年、出井氏が後任に指名したハワード・ストリンガー会長兼CEOへの申し送り事項の中に、「良子氏をリスペクト(尊重)せよ」という内容が入っていたとされる。

 盛田氏の次男、昌夫氏は6月に開かれるソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)の株主総会で、会長を退任し、ソニーグループのアドバイザーに退く。盛田家の資産管理会社レイケイは、95年時点ではソニーの筆頭株主だった。しかし、今では大株主名簿に名前が見当たらない。盛田家とソニーをつなぎ留めていた良子氏が亡くなり、完全に縁が切れた。

●長男の事業が失敗の繰り返し


 盛田家がソニーの大株主でなくなったのは、長男・英夫氏が手掛けた事業の失敗の穴を埋めるために、持ち株を売り払ったからである。93年、昭夫氏が病に倒れると、英夫氏は社長を務めるレイケイが保有するソニー株式を担保に、巨額の資金を調達し、さまざまな事業に注ぎ込んだ。だが、事業は失敗の繰り返しだった。

 最初に手掛けたのは、新潟県妙高市の大規模スキー場「新井リゾート」。日本が世界に誇る高級保養地を目指し、レイケイの投資額は500億円に及んだが、バブル崩壊で開業当初から苦戦が続いた。

 続いて米コロラド州の大規模スキー場を100億円で買収。最後には自動車レースのF1関連事業で230億円の巨額損失を出し、レイケイは税金も払えなくなり、05年6月に解散した。事業が失敗するたびに同社はソニー株式を次々と売却し、最後には保有するソニー株をすべて失った。こうして盛田家は、ソニーのオーナーの座から滑り落ちた。