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『アラジン』はイスラム的にアウト? 映画で触れる三大宗教のタブー

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【「月刊サイゾー」立ち読みサイト「サイゾーpremium」より】

──2012年、ネット上で公開された『イノセンス・オブ・ムスリムズ』というアメリカの自主制作映画が、「預言者を侮辱している」とイスラム圏で大きな反感を買った。映画表現において、キリスト教、イスラム教、仏教という三大宗教の何をどう描いたら、こうした反応が起きてしまうのか? その基準線を探ってみたい。

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『アラジン』(偕成社)

「イエスに子どもがいた!?」「ユダは裏切り者ではない」聖書の解釈に違いがあるにせよ、キリスト教社会におけるこうしたタブーは、多くの小説やノンフィクションで扱われ、さらに映画化され、物議を醸してきた。その代表的なものが、同名のベストセラー小説を映画化した『ダ・ヴィンチ・コード』【1】。カトリック教会はイエス・キリストを冒涜したとしてボイコットを呼びかける騒ぎに発展した。また、イエスの十字架刑を描いた89年の『最後の誘惑』も、磔から脱出しマリアとの間に子をもうけ、老齢まで生きるというイエスの夢想が描かれる。当然、保守派のクリスチャンからは叩かれたが、イエスに子どもがいたことのみならず「ユダの位置づけ」にも問題があったと、キリスト教思想に詳しい同志社大学神学部の小原克博教授は指摘する。

「一般的にユダは裏切り者とされていますが、『最後の誘惑』【2】のユダは、むしろ神の計画を成就する人物。原作となったニコス・カザンザキスによる重厚な同名小説では、このあたりのストーリー展開が非常に綿密に描かれ、本当はそうだったのかもと思わされるほど。これらは昔から人々の関心をくすぐってきた、息の長い隠れたテーマなんですよ」(小原氏)

 あるいは、受難の道程を明らかにしたもので最も苛烈なのが、04年の『パッション』【3】。イエスの凄惨な拷問描写を映画館で目にした観客が心臓発作で亡くなった話は有名だが、イエスの母語とされるアラム語と、一部ラテン語で進行する同作に対し、福音派という保守層の一部は真実に近いと感嘆。しかし、欧米のメディアやキリスト教団体は、イエスを迫害するユダヤ人の描き方が「反ユダヤ主義を助長する」と糾弾した。

「同じ十字架に至るプロセスを描いた映画でも、作品により内容が違います。聖書には福音書が4つありますが、それぞれ異なるストーリーを含んでいます。ひとつのストーリーに仕立てるためには、作り手の意図がかなり入り込んでしまうため、何が真実かをめぐって意見の対立が生まれるのは当然ともいえます」(同)

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