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みのもんたは息子に甘い? 犯罪者の親が負う責任

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※画像:『みのもんたにならないための危機管理マニュアル』(長谷川 裕雅/著、サイゾー/刊)

――ベストセラー『磯野家の相続』(すばる舎)の著者でもある弁護士・長谷川裕雅氏の新刊『みのもんたにならないための危機管理マニュアル』が話題になっている。それは、書名にもなっているみのもんたをはじめ、矢口真里、島田紳助、SMAP、清原和博、AKB48、ASKA……といった近年取りざたされた芸能人のスキャンダルを法的な視点で読み解き、バッシングの回避方法から裁判での戦い方まで不祥事を乗り切る術を解説した一冊であり、芸能関係者はもとよりサラリーマンにとっても大いにタメになることが書かれているのだ。

 ここでは、そんな本書のタイトルにもなった「みのもんたは息子に甘い? 犯罪者の親が負う責任」を特別にお届けしよう。

次男の事件で激しくバッシングされたみのもんた

「親の責任」とは何でしょうか。人気司会者だったみのもんたさんの次男が窃盗未遂容疑で逮捕された事件をめぐって、みのさん自身が批判を受けた問題を考えると、そんな根本的なテーマに突き当たります。 経緯を振り返ってみましょう。みのさんは「週間で最も多くテレビの生番組に登場する司会者」として、ギネスの世界記録に認定されたほどの名司会者でした。そのみのさんが、激しいバッシングを受けるきっかけとなったのが、当時31歳だった次男が起こした刑事事件でした。

 2013年8月13日未明、東京都港区のコンビニエンスストアで、他人のキャッシュカードを使って現金を引き出そうとした窃盗未遂容疑で警視庁に逮捕されました。次男はその後、路上で寝ていた男性のかばんを盗んだとして窃盗容疑でも再逮捕されましたが、最終的には「偶発的な犯行で、(会社から解雇されるなど)社会的な制裁も受けている」(東京地検)として“起訴猶予”とされました。

 ちなみに、起訴猶予とは、起訴されない(刑事裁判で罪を問わない)不起訴処分の三類型の一つです。他の二つは、被疑者が犯人でないことが明白となった“嫌疑なし”と、被疑者が犯人であることの証拠が不十分である“嫌疑不十分”です。起訴猶予は、被疑者が犯人であることが明白になったものの、様々な事情から罪に問う必要がないと判断した場合に検察官が選択できます。刑事訴訟法248条は「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」と定めていて、 犯罪が成立する場合でも検察官に起訴するかどうかの判断を委ねています。これを法律の専門用語で“起訴便宜主義”といいます。

息子が成人していれば親に責任はない?

 少し話がそれましたが、つまり、みのさんの次男は起訴されなかったものの、犯人であることは明白であり、世間からすれば許されない行為をしたことに違いはありません。父親である みのさん自身も息子の行為について説明を迫られることになったのです。ところが、みのさんの対応は、世間からの批判を受けるものとなりました。 みのさんが次男の件で最初に発言したのは、逮捕の2日後でした。神奈川県鎌倉市の自宅前で記者に囲まれた際、「 30(歳を超える年齢)で子どもがいる男に親がどこまで責任を取るべきなのか」と発言したのです。いくら血のつながった息子とはいえ、すでに成人して独立しているのだから、親に責任はないと受け取られかねない表現でした。もちろん、「それはそうだ」 と感じた人もいたでしょうが、反発した人も少なくありませんでした。とりわけ、テレビで常々、 辛口の論評を披露している司会者でしたから、「他人に厳しく、自分に甘い」との批判が噴出したわけです。みのさんの看板番組名を織り込んで「息子には ズバッと言えぬ みのもんた」 という川柳まで登場したほどでした。

自分の首を絞めることになった釈明会見

 メディアは、みのさん叩きに奔走しました。次男の事件が、みのさん本人への批判に転嫁したのです。「同僚アナウンサーにセクハラをした」「息子をテレビ局にコネ入社させた」「テレビ局の株を買い増して自身の影響力を強めた」「自宅が豪邸すぎる」など、ほとんどあら探しのようなバッシングを受けることになったのです。これに対し、みのさんは、改めて記者会見を開いて釈明しました。“炎上”のきっかけとなった最初の発言から約1カ月半後のことです。 会見では「次男を不完全な形で世に送り出してしまったのだとしたら、父親としての責任があると思い至った」「親としての道義的責任を感じ、自分にとって一番苦しい道を取った」と語り、担当する報道番組からの降板を表明しました。ところが、会見の最後に、事件を起こした次男に向けて「バカヤロー」と叫んだことで、「演出がかっている」とさらなる反発も招いてしまいました。

 みのさんは約8年続けた看板番組を降り、パーソナリティを務めていた音楽番組も終了するなど、芸能人として致命的なダメージを受けました。もちろん、次男の行為は許されないものでしたが、みのさんをここまでに追い込んだのは、むしろ、自身の発言でした。ある批評家が「一般論で言えば、親が30を過ぎた息子の責任を取る必要などまったくない」とみのさんを擁護したように、発言の内容自体が完全に間違っていたというわけではありません。それでは、何がまずかったのでしょうか。

世間がどう受け止めるかを見極めるべき

 メディアがつくり出す“世論”は、一種のムーブメントです。著名人に対するバッシングが一つ起こると、時流に乗り遅れられないという雰囲気が醸成されます。とりわけ、みのさんの場合、報道番組で辛口批評を繰り返していただけに、視聴者の心の中にあった「偉そうなことを言っている人」という潜在的な嫌悪感情を顕在化させてしまいました。そうした状況では、「成人した子どもの責任を親が取る必要があるのか」という本音は通用しません。事件後早い段階で、建て前であっても「親としての責任を感じる」と表明しておくべきでした。もちろん、成人の子どもが犯罪をしたからといって、親に法的な責任は生じませんから、道義的な責任という意味においてです。我が国では、個人主義が定着してきたとはいえ、まだまだ、成人であろうがなかろうが、子どもの犯罪や不祥事に対する親の責任を看過できない風潮があります。いくら親が一生懸命に育てても、結果的に子どもが悪いことをすれば、「親の育て方が良くなかった」と見られてしまうのです。

 みのさんは最初の発言時に、親として責任があるとして謝っておいたほうが無難でした。そうしていれば、これほど致命的な結果とはならなかったでしょう。特に人を批判する仕事をしてきたわけですから、より厳しく自己批判する姿を見せておくべきでした。みのさん自身にも悪意はなかったはずです。しかし、世間がどう受け止めるかを見極め、謙虚な態度を示すべきでした。見通しの甘さはぬぐえません。もちろん、一般人も同じです。すでに成人になった子どもが過ちを犯してしまったら、親が道義的な責任を負わなければ、社会は納得しないのです。