ビジネスジャーナル > 企業ニュース > Sonyニュース > ソニー、なぜつまらない会社に?  > 3ページ目
NEW

ソニーは「つまらない会社」に成り下がったのか 「遺産相続」ではなく「新しい財産」を築け

文=長田貴仁/岡山商科大学教授(経営学部長)/神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー
【この記事のキーワード】, ,

 この悪しき過去からソニーは学習したはずだが、先輩が残してくれたイメージセンサーが絶好調なものだから新事業創造に本腰が入っていないとすれば、競争力の源泉となる画期的な製品、事業を新たに創造できなくなった「ソニー病」は根治できないのではないか。食いつなぐことは重要だが、親の遺産を食いつぶしているだけではあまりにも能がない。新たな食い扶持を親が遺産として残してくれれば後継者はそれで当分は生き残れるが、さらに次世代のことを考えれば、各世代で新事業を自ら創造しなくてはならない。ここ数代のソニー経営陣が改善に始終しイノベーションを怠った結果、ソニーの苦境は続いた。

「一代一業」

 トヨタ自動車の創業家、豊田家の家訓である「一代一業」が、新事業創造の重要性を示唆している。

 初代・豊田佐吉氏(1867-1930)が世界初の自動織機で成功を収め、長男の喜一郎氏(1894-1952)が中心になり、豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)内に自動車部を設立。その後、トヨタ自動車工業となり2代目社長に就任する。これが「一代一業」の始まりである。続いて、75年には、豊田英二社長(当時)が住宅事業部を発足している。では、4代目、曾孫に当たる豊田章男社長(1956-)はどうか。

 自動車という産業が、自動運転、燃料電池車など革命期に入っているだけに、これだけでも新事業創造といえるかもしれない。しかし、ライバルのホンダは航空機事業で新事業創造を実現した。章男氏は、家訓の重みを背負っているといえよう。

 栄華を極めたゆえ、一代一業を忘れていたのがシャープである。

「液晶のシャープ」を謳歌した町田勝彦元社長に筆者がインタビューしたとき、「液晶の次を担う新事業は何ですか」と質問した。その答えは「液晶の次は液晶です」だった。リーマンショック、エコポイント後の急激な国内販売低迷がなければ、もう少し液晶で稼げる時間が長引いたかもしれない。しかし、その稼ぐ力は瞬く間に息切れしてしまった。結果、それに代わる大きな屋台骨がない「液晶のシャープ」は、「シャープ病」にかかってしまった。

 コア事業を持つ多角化は、経営戦略としては間違ってはいない。しかし、コア事業ががたついたときのことも想定したリスクマネジメントを心がけておく必要がある。

ソニーは「つまらない会社」に成り下がったのか 「遺産相続」ではなく「新しい財産」を築けのページです。ビジネスジャーナルは、企業、, , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!