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浮世博史「日本人が知らなかった、ほんとうの日本史」

「軍師官兵衛」はデタラメ?戦国時代に「軍師」はいなかった!

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如水居士画像(「Wikipedia」より/GooGooDoll2)
 軍師として有名な、黒田官兵衛(孝高)。出家後の名前は、如水といいます。しかし、「実は、戦国時代の日本に軍師はいなかった」というと、驚く人も多いのではないでしょうか。

 江戸時代に書かれた軍記物や、軍学者と称する人たちが残した記録、さらには講談や芝居などで取り上げられている話は、ある程度“盛られた”ものであると考えたほうがいいでしょう。

 また、江戸中期までに、各大名家では自分の先祖の歴史を残すことが流行しました。当然、その中で描かれている人物が美化されてしまうという事情は理解できます。

「○○家のご先祖さま、思ったほど領地をもらえていないよね? 大したことなかったんじゃないの?」

「いやいや、本当はもっと大きな領地をもらってもおかしくない手柄があったんだけど、ある理由からもらえなかったんだよ」

「え? そのある理由って何? 気になる~!」

「しょうがないなぁ、実は……」

 中には、こんな調子で、やや大げさに語られている話もあるわけです。

 さて、冒頭の「軍師はいなかった」という話に戻ります。軍師というと、軍事上の参謀というイメージを持つ人が多いと思います。実は、一級史料(当時の信頼すべき文書)の中に「軍師」という表現は見当たらず、「軍配者」という言葉が出てきます。

 軍配者とは、兵の配置や分担などを指図した役割であるため、要は参謀ではないかとも考えられます。しかし、実はそういった指図は陰陽道や占いで吉凶を判じた結果、決められていました。

 つまり、軍配者は従軍占い師のようなものだったのです。また、1人ではなく複数いて、いろいろな合戦の絵巻物の中に、五芒星の縫い物や染め物の白い衣服を着た集団として描かれています。長篠の戦いを描いた「長篠合戦図屏風」にも、そういった集団が見られます。

 もちろん、「いや、軍配者と軍師は違う。軍師は確実に存在した」と言う学者もいます。

 江戸時代、儒学と共に中国のさまざまな古典が日本に伝来し、一般庶民や下級武士にまで教育が広まりました。『史記』『三国志演義』『水滸伝』などが読まれるようになったため、張良や諸葛孔明などの軍師が、日本の戦国時代の武将に重ねられたような気がします。

 官兵衛に関する史料としては、主に以下のようなものが挙げられます。

宣教師のルイス・フロイスによる『日本史』および手紙
『川角太閤記』
『名将言行録』
『黒田家譜』
『常山紀談』
『三河後風土記』
『黒田如水傳』

 小説やドラマに出てくる官兵衛は、ほとんどがこれらの史料によってかたちづくられています。