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武田鏡村「本当はそうだったのか 歴史の真実」

織田信長は「神を冒涜する悪魔」だった?キリスト教を利用し兵器生産

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織田信長(「Wikipedia」より/Gryffindor)
 ほかの武将と違い、織田信長は本拠地となる居城を固定することはなかった。居城の固定化は地域支配を磐石にするが、信長はそれを否定したのだ。

 清洲城、小牧山城、岐阜城、安土城への移転は、明らかに戦略目標に沿ったものである。天下を統一するため、それにふさわしい拠点を必要に応じて変えるというものだ。信長のこの柔軟性は、見習うべきものがある。

 信長が安土城の次に考えていたのが、京都を含む近畿から中国、四国、九州が射程に入る大坂(おおさか:現在の大阪)である。そこで信長は、のちに豊臣秀吉が大坂城をつくる場所にあった石山本願寺に目をつけた。本願寺は、淀川と大坂湾に臨み、さらに瀬戸内海から西国への交通の要地に当たる。

 信長が本願寺の制圧を考えたのは、戦略上の重要拠点を掌握したいという理由のほかに、大きな思惑があった。それは、流通と生産を支配するというものである。

 本願寺は、親鸞を開祖とする、一向宗と呼ばれていた浄土真宗の本山だ。本願寺の勢力は、各地の寺院を中心にして、「守護不入」といわれる世俗権力の介入を排除する、独自の「寺内町(じないまち)」を形成していた。いわゆる寺内特権といわれるものである。

 寺内町の多くは河川や港湾に面しており、租税や労役などの課税をかけられていなかった。さらに、流通機構を一手に引き受けて、食糧や衣料、武器などを交易・生産する拠点となっていたのだ。そのため、ほかの戦国大名が支配する地域とは違い、極めて豊かで繁栄していたという。

 信長は、地域の制圧と同時に、寺内特権を所有する本願寺の勢力圏を支配することで、経済と流通、生産の拠点を抑え、そこから上がる莫大な収益の確保を狙った。

 そのため、信長は各地の寺内町を恫喝し、従わなければ武力を行使した。そして、本山となる本願寺を脅迫して、退去を要求したのだ。

 本願寺は、親鸞の血脈となる法主(ほっす)の顕如(けんにょ)を「生き仏」と仰ぎ、寺内には八町とも十町ともいわれる寺内町を形成して、数万人が生活していた。当時では、日本最大の都市である。日本にキリスト教を伝えた宣教師のガスパル・ヴィレラは、「本願寺の法主は、日本の富の多くを所有している」と語ったほどである。