NEW
青木康洋「だれかに話したくなる、歴史の裏側」

天皇を狂喜乱舞させた日本初の銅発見 手柄を立てた人物は朝鮮からの帰化人?

【この記事のキーワード】

, ,

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
埼玉県秩父市にある和銅遺跡の和同開珎モニュメント
 7世紀末の天武天皇の御代、武蔵国北部に多胡羊太夫(たごひつじだゆう)なる人物がいた。そして、次のような伝説が伝わっている。


 羊太夫は八束小脛(やつかのこはぎ)なる従者に名馬・権田栗毛を引かせ、武蔵国から奈良の都をひとっ飛びで往復していた。しかしある時、羊太夫は昼寝をしていた小脛の両脇に小さな羽根が生えているのを面白がり、抜いてしまった。すると、小脛は神通力を失い、朝廷は姿を見せなくなった羊太夫が謀叛を企てていると疑い、討ち取ってしまった。

 実に不思議な話だ。しかし、筆者にはこの逸話が、何かの歴史的事実を暗示しているように思えてならない。

 羊大夫が実在したかどうかには諸説があり、研究者の見解も定まっていない。しかし、羊太夫とおぼしき人物は、いくつかの史料に散見される。

 例えば『続日本紀』には、羊太夫らしき人物が武蔵国の秩父郡から和銅を発見して朝廷に献上したという記述がある。この功によって、羊太夫は藤原不比等から上野国多胡郡の郡司の地位と藤原の姓を賜ったとされている。

 また、群馬県高崎市に残る「多胡碑」という古代の石碑には、「給羊」という文字が刻まれており、これは人名という説も根強い。

群馬県高崎市にある「多胡碑」

 前述の銅の発見は、古代日本におけるエポックメーキングな出来事であった。708年、時の女帝・元明天皇は大喜びし、元号を慶雲から和銅に改めたほどだった。また、100歳以上の農民に籾3石、90歳以上に同2石、80歳以上および家族を失い自立できない者には同1石を贈り、さらに親孝行の子と祖父母によく尽くす孫を表彰し、その名を村里に3年間も掲げたのである。

 日本初の銅の発見が、いかに喜ばれた出来事であったか。大和朝廷の狂喜乱舞ぶりが伝わってくるようだ。

謎多き羊太夫の正体は?


 しかし、ここで気になることがある。発見者とされる羊太夫とは、そもそも何者なのだろうか?