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熊谷充晃「歴史の大誤解」

織田信長、「本能寺の変」までの紆余曲折 困難を極めた尾張統一秘話

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織田信長(「Wikipedia」より/Gryffindor)
 戦国ファンなら、根強い人気を誇る歴史シミュレーションゲーム『信長の野望』(コーエーテクモゲームス)シリーズをプレイした経験を持つ人は多いだろう。筆者も、かなりお世話になった口だ。

 多くの場合、ゲームの中で戦国大名は城を有して割拠し、家臣や有力豪族を従えて国や国の一部を領する支配者となっている。

 そこで気づくのは、最初から「国持ち」という大名が少ないことだ。そして、年代順に並んだシナリオの初期設定を見ても、当時の大名たちが容易に「一国統一」にたどり着けなかったことがわかる。

 また、ゲーム中で一国を統一する勢力として登場しても、便宜的に一国を代表する大名として扱われているだけで、調べてみると、本当は割拠していたはずの有力大名や豪族が在野や家臣として登録されていることにも気づく。

 これは、何もゲームの不備などではない。それほど、戦国時代は「群雄割拠」という言葉がふさわしい時期であり、情勢が複雑だったということを示しているのだ。

 戦国初期に複数の国を支配していた大名は、数えるほどしかいない。それらは、鎌倉時代以来の名門や、幕府の弱体化に乗じて中央で権勢を振るうようになった大名だ。九州の大友氏や、中国地方から九州北部にまで勢力を伸ばした大内氏などが代表例である。

 一方、戦国時代が終わろうとしているのに統一されていない国も多かった。最有力候補の佐竹氏が最後まで統一を果たせなかった常陸、驚異の粘りで北条氏に屈しなかった里見氏が本拠とする安房などが、それに当たるだろう。

 一国以上を統一することができた大名も、多くの場合は一代で急激に版図を拡大させたケースが多い。甲斐一国から信濃のほぼ全域を手中に収めた武田信玄、尾張藩の守護代のそのまた有力家臣という出自から、全国統一に邁進した織田信長などが、それだ。

信長が示す、一国統一の難しさ


 信長の軌跡を見ると、一国の統一がどれほど困難だったのかがよくわかる。

 信長は、当主になると父譲りの野心で急速に存在感を示すようになる。彼の軌跡を簡単に示すと、清洲織田家の打倒(尾張下四郡の支配)→上四郡守護代・岩倉織田家の打倒→尾張守護・斯波家の打倒、でやっと尾張が統一される。つまり、信長は三度の下剋上を経なければ一国を統一できなかった。