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宮台真司の『アレノ』『起終点駅 ターミナル』評: 潜在的第三者についての敏感さが失われている

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【リアルサウンドより】

◼︎二者関係は潜在的三者関係である

 前編では橋口亮輔監督の『恋人たち』を取り上げ、「ナンパ師視点」という特徴を挙げました。これに関連して、映画が特に性愛関係を描く際、説得的なものになるケースと、そうでないケースとを岐ける、最も重要なポイントの一つをお話しします。ちなみにそこでは脚本家や演出家(映画監督)の「人間の関係性に対する理解」が問われます。(※編集部注:メイン写真は『起終点駅 ターミナル』のもの)

 人間の二者関係は、潜在的な三者関係です。その理解が演出に表れているかどうかが、多くの映画にとって重大です。戦間期に活動した社会学者G・H・ミード(1863~1931)に従えば、潜在的な三者関係とは主我・客我・他我です。他我は「そこにいる他者」。客我は「そこにいない他者(たち)の反応の中に結ぶ像」。主我は「私としての私の反応」。

 私が、他我alter ego=「そこにいる他者」に向けて、何か行動したとしましょう。それが何を意味するかは、客我Me=そこにいない他者(たち)の反応の中に結ぶ像として、与えられます。

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