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マック、V字回復と業績不振の10年、原田マジックの功罪 過度の改革で「現場力」低下

文=福井晋/フリーライター
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マック、V字回復と業績不振の10年、原田マジックの功罪 過度の改革で「現場力」低下の画像1日本マクドナルドが4月に発売した「ビッグブレックファスト」

 約10年間、CEO(最高経営責任者)として日本マクドナルドホールディングス(以下、マクドナルド)の経営の舵取りを担ってきた原田泳幸氏は、代表権のない会長にとどまりながらも実質的には同社の経営からは距離を置き、今後は教育産業大手べネッセホールディングスで会長兼社長として同社の経営に注力することになる。

 04年にアップル日本法人社長からマクドナルドCEOに転じた原田氏は、強烈なリーダーシップで経営改革を断行、それまで7年間も減少し続けていた業績を11年12月期まで9期連続でV字回復させた。

 その一方で、米マクドナルド本社の方針に沿い、24時間営業店の拡大やFC(フランチャイズ)チェーン拡大を推進。その行き過ぎた経営改革や人員削減は社員やFCオーナーの反感を買い、訴訟沙汰に発展することもあった。そうした中で同社が強みとしていた現場力も低下。これが12年12月期以降の業績続落の原因となったと指摘する証券アナリストの声もある。

 さらに、原田氏が得意としたマーケティングについても「ハンバーガーを値上げする傍らで他のメニューを値下げするなど戦略に一貫性がなく、何を目指しているのかわからない」(外食業界関係者)の指摘もあったが、「原田マジック」と称賛された原田氏の経営の陰で、実際には何が起こっていたのか。

原田マジックと、その異変

 ここで、原田氏によるマクドナルド経営の10年間を簡単に振り返ってみよう。

 原田氏は電子機器メーカー大手、日本NCRなどを経て97年、米アップル日本法人社長に就任。パソコン「iMac」や携帯音楽プレーヤー「iPod」などを巧みなマーケティング戦略で日本市場でヒットさせ、長らく業績不振にあえいでいた日本事業を立て直した。原田氏のその手腕に着目したのが、マクドナルド米本社だった。04年にマクドナルドCEOに招聘し、低価格キャンペーンと急速な店舗網拡大により業績が悪化していた日本事業の再建を原田氏に託した。

 マクドナルドCEOに就任した原田氏の再建策は、05年から始めた「100円メニュー戦略」だった。ハンバーガー、ポテト、コーヒーなどの「100円メニュー」で新規客を呼び込み、低価格の魅力で囲い込んだリピーターを徐々に高単価メニューへ誘導する戦略だ。この100円メニュー戦略は、米本社の基本マーケティング手法。「リーチ(接触)とフリークエンシー(頻度)」と呼ばれる手法で、低価格メニューにより新規客との接点を広げることでリピーターを獲得するというもの。米本社は世界中の現地法人にこの基本マーケティング手法を徹底させることで、世界最大級の外食チェーンに成長した経緯がある。

 マクドナルド創業者で初代CEOの藤田田氏(03年退任)は、日本法人の経営独立性を保つため米本社と距離を置く傾向が強かった。だが、2代目CEOに就任した原田氏は世界共通のマーケティング手法がマクドナルドの経営再建に不可欠と判断、「藤田経営」の単なる低価格戦略を修正した。

 その後は、100円メニュー戦略を軸に原田氏が打ち出したマーケティング策が次々と当たり、マクドナルドの経営再建が軌道に乗った。

 こうして全店売上高は04年から11年まで8期連続プラスを記録。原田氏の経営手腕は「原田マジック」と称賛された。

 ところが12年になると、原田マジックに異変が起こった。12年4月から全店売上高が突然減少。以降、12年6月、13年5-6月など一時的な小幅回復はあったものの、14年4月までの25カ月間、売上高減少が続いた。このため、同社の連結決算は12年12月期から2期連続の減収減益に転落することになったが、この結果を待つまでもなく、原田氏は13年8月、マクドナルドCEOを退任した。

 この時の記者会見で、原田氏は「安さだけで集客できる時代は終わった」と語り、100円メニュー戦略の行き詰まりを認めた。そして今年2月19日、原田氏は持ち株会社、日本マクドナルドホールディングスでも代表権のない会長に就任し、米本社から送り込まれたサラ・カサノバ氏が原田氏の後任CEOに就任する人事を発表した。

藤田経営の修正

 マクドナルド創業者の藤田氏は、「日本にマクドナルドを定着させた功労者だったが、晩年は経営を誤った」(マクドナルド関係者)といわれている。1971年7月、銀座三越(東京)内に1号店「銀座店」を開業以来、93年7月まで20年以上かけてじっくりと1000店まで店舗網を拡大したが、その後は99年8月までのわずか6年間で2000店を新規出店するなど、店舗網を急拡大した。加えてハンバーガーを平日65円で売るなど、激しい低価格キャンペーンを展開、売上増を追求した。

 その結果、「正社員とアルバイトの教育は行き届かず、管理職になってもまともな経営企画書が書けず、本部の情報管理もずさんだった。さらに外食産業の基本であるQSC(品質、サービス、清潔さ)は乱れ、新規客は寄り付かず、業績が悪化した」(同関係者)。

 そんな状態のマクドナルドに乗り込んだ原田氏は、それまでの年功序列型人事制度を成果主義型人事制度に変更すると同時に、金融機関、マーケティング会社など業界外から多くの人材を採用し、組織の活性化を図った。前出の業界関係者は「原田氏にとって『藤田経営』は反面教師。藤田経営の誤りを修正すればマクドナルドの業績V字回復ができた。それが原田マジックの正体だった。だから米本社との販促策連携など修正材料がなくなるとマジックのネタが尽きたのでは」と指摘する。

 一方、マクドナルドの内情に詳しい証券アナリストは「原田マジックの失敗要因は、藤田経営の改革に腐心するあまり、現場力を低下させたことだ」と、次のように指摘する。

 原田氏は藤田氏と異なり、米本社の経営方針に忠実だった。世界共通の「ワンダラー商品」(100円メニュー)や「プレミアムローストコーヒー」を日本国内でも積極的に展開し、マクドナルドの目玉商品として定着させたが、本部の指示を店舗運営に的確に反映させる現場力があってのことだった。

FC転換推進によるコスト削減の代償

 この現場力を低下させるきっかけが、原田氏が米本社の意向を受けて開始したFC店化推進だった。

 マクドナルドは06年、直営店からFC店への転換推進を開始した。店舗、営業経費、人件費などの「資産レス」を図ることで収益率6ポイントの増加を目指したのだった。これについて原田氏は「FCビジネスを強化し、全店での投資を最適化するのが目的」と市場関係者に説明した。

 そして、同社は07年から13年末までの累計で1400店以上の直営店をFCオーナーに売却。全店に占めるFC店比率は、07年末の28%から13年末には68%にまで上昇した。直営店のFC転換推進で、収益率の改善と人件費などのコスト削減が実現できた。

 だが一方で現場力の低下をもたらした。その典型が顧客満足度調査に現れている。例えば、サービス産業生産性協議会が行っている「JCSI(日本版顧客満足度指数)調査」によれば、10年度の「飲食」分野の調査でマクドナルドの顧客満足度は外食産業21社中14位だったが、13年度調査では27社中最下位に落ちていた。つまり「人材育成をFCオーナー任せにした結果、直営店並みのQSCを実現できなかった」(証券アナリスト)といえる。業界内でも「キャリアパスのある社員だからこそ上昇志向が生まれ、モチベーションが向上し、直営店は高いQSCが維持できる。だがFC店ではそれを期待できないのが常識」といわれている。

 加えてFC転換推進以降、社内で「マクドナルドマニア」と呼ばれた、アルバイト叩き上げで現場を知り尽くした管理職級社員の大半も同社を去り、その多くが他の外食チェーンに転職したり、外食産業の起業をしている。証券アナリストは「直営店の急激な減少で、マクドナルドマニアたちにとっては活躍の場所が著しく狭まった。だから彼らは社外に活躍の場を求めた。その結果、上司から部下へ、先輩から後輩へという現場での指導力が著しく低下した」と指摘する。

 当の原田氏も2期連続の減収減益要因に関して、14年2月20日付日本経済新聞のインタビューで「体質が古かった日本マクドナルドを変革するにはトップダウンが必要だった。反面、トップダウンが指示待ち人間を作る一因になった」と話し、現場力の低下を暗に認めている。

「今度は外食産業以外で日本企業のグローバル化に貢献したい」との言葉を残してベネッセホールディングスの会長兼社長に転身する原田氏。今度はどんな指導力を見せてくれるのだろうか。
(文=福井晋/フリーライター)

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