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江川紹子の「事件ウオッチ」第44回

【慰安婦問題で日韓合意】 “不可逆的な解決”のために必要なことは

文=江川紹子/ジャーナリスト
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 日本政府は、誠実に合意された事柄を実行し、安倍首相の「おわびと反省」を肉声として元慰安婦に届けるなど、被害者や韓国の国民ができるだけ納得するように努力する必要があるだろう。「韓国のことは朴政権の責任」と突き放した態度では、せっかくの合意の実現が困難になりかねない。

 慰安婦問題については、日本は村山政権の時代にアジア女性基金をつくり、その後、国民から集めた「償い金」200万円に加え、国費から拠出した医療福祉支援事業120~300万円を、首相のお詫びの手紙と共に届けることで謝罪を形にし、問題の解決を図った。この事業について「失敗だった」とまるきり否定的な見方もあるが、それはフェアな評価ではないと思う。

 韓国では、「法的責任を認めていない」として挺対協が激しく反対する中、同政府が認定した元慰安婦207人中61人と、3割が「償い」を受け取った。日本の基金に対抗するかたちで韓国でも元慰安婦への支援が始まったという点からも、女性基金の償い事業は意味があった。

 また、フィリピンやオランダなどでも事業が展開され、一定の評価が得られた。とりわけ首相のおわびの手紙は、少なからぬ元慰安婦たちに慰めをもたらした。オランダでの対日感情がそれで和らぐなど、日本の国際的な評価にも貢献したように感じる。

 ただし、韓国や台湾では反発が強かったために、償い事業が道半ばで終わったのは事実だ。韓国内で非難されることを恐れた元慰安婦が多かったため、日本が償い金を渡した人数もつい最近まで明らかにされず、韓国民に対しても十分な説明ができなかった。その時に果たしきれなかった人権救済が、今回の合意によって進められると受け止めるべきではないか。

「戦時下の女性の人権」の回復のために

 ところで、この問題を人権問題として理解するには、女性達が慰安婦になった経緯や慰安所での状況など、戦時中の出来事だけでなく、問題が顕在化した経緯を知っておいたほうがよいと思う。

 日韓の国交が正常化した1965年には、慰安婦をめぐる問題はまったく光が当てられていなかった。反日感情が強く、儒教的貞操観念の中で元慰安婦の女性たちは差別を恐れ、過去を封印して生きざるを得なかったのではないか。日本でも国際社会でも、戦時下の女性の性をめぐる問題を女性の人権問題としてとらえる状況ではなかった。

 78年に出版された、『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター出版部)という本がある。戦時中海軍に所属して、その後各界で活躍した人たちの手記集だが、そこで中曽根康弘元首相が海軍主計長としてインドネシアに慰安所を開設した経緯を、こう書いている。

「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」

「軍の関与の下に」(河野談話より)慰安所がつくられたことを自ら認めたかたちだ。それを自慢話のように書いているのは、当時はこうした記述が問題視されるとは思いもしなかったからだろう。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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