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「アンカツの兄貴」に「第三の男」……JRAの壁に阻まれ、表舞台から消えた“地方”トップジョッキーたち

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 年間130勝を挙げ、昨年のJRA(日本中央競馬会)リーディングジョッキーに輝いた戸崎圭太騎手。実は一昨年のリーディング騎手も戸崎騎手であり、これで2年連続の最多勝ということになる。

 それだけでなく、ジェンティルドンナの岩田康誠騎手やゴールドシップの内田博幸騎手。現在は競馬評論家に華麗なる転身を遂げた“アンカツ”こと安藤勝己騎手など、昨今のJRAは『地方競馬でトップジョッキーだった騎手』の活躍なしには語れない。

 基本的に土日だけしかレースを行わないJRAと比べて、毎日のように競馬がある地方競馬出身の騎手は、単純にレースをこなしている数が多く、その分経験値も高い。そんな過酷な地方競馬のトップジョッキーだからこそ、“温室育ち”の騎手ばかりが集まるJRAでの大活躍は「当然」といえるのかもしれない。

 しかし、必ずしも“ウチパク”や“アンカツ”のように「地方競馬のトップジョッキー」イコール「JRAでもトップジョッキー」とはならない。光あるところに陰があるように、厳しいJRAの壁にぶち当たり、志半ばでターフを去っていった地方出身騎手も少なからずいるのだ。

「アンカツの兄ちゃん」こと“アンミツ”。弟のように輝くことはできず……

 笠松競馬のみならず、地方競馬全体を代表する騎手として長年活躍し、JRAに移籍するまでの間に積み上げた勝利は2818勝。そんな輝かしい実績だけでなく、安藤勝己の兄としてのネームバリューも携えてJRAに乗り込んできたのが、“アンミツ”こと安藤光彰騎手だ。

 2007年の3月3日に念願のJRAデビューを果たすと、翌日にはJRA騎手としての初勝利。しかし、その後は鳴かず飛ばず。結局、デビュー1年目の年間19勝を超えることはなく、2012年に引退を表明した。

 JRAに移籍するまでには、全国で地方競馬の重賞を勝ちまくっていた“アンミツ”。だが、中央競馬の重賞勝利がJRAに所属する前に挙げた2勝だけだったのは、なんとも皮肉な話だ。

小牧、岩田に続く「第3の男」も、引退前には“見習い騎手”扱い……?

 地方競馬の中でも「レベルが高い」といわれている園田競馬において、小牧太、岩田康誠に次ぐ3番手として活躍。映画俳優の赤木圭一郎にあやかり「園田第3の男」と呼ばれていたのが、赤木高太郎騎手である。

 JRAデビューを果たした2004年に37勝、翌年も44勝。2008年にはJRAの重賞初勝利も果たした。しかし、中京、福島、小倉などのローカル競馬場での“ドサ回り”が主な仕事となってしまい、勝ち星を伸ばせないまま静かに鞭を置いた。

 ちなみにJRAには見習いの若手騎手育成を目的とした「若手騎手限定競走」というものがあるのだが、2009年には騎乗予定だった若手騎手が負傷。替わりの若手騎手がいなかったので、特例措置で赤木騎手が代打騎乗した珍事があった。

 まだ技術的にも未熟な20歳そこらの若手騎手に、39歳の“オヤジ”が参戦した微笑ましいレースだったが、結果は13着。やはりこのあたりで、もうすでに若い力に押されていたのだろうか……。

息子との競演を夢見るも、最後は“両方リタイア”という寂しい結末が……

 高知競馬の実力者として2000以上の勝ち星を挙げていた、鷹野宏史(ひろふみ)騎手。2008年に、かつて関東期待の若手騎手として、ほしのあきとの熱愛報道があった三浦皇成や、同じく地方競馬出身の“ウチパク”こと内田博幸と同期という華々しいデビューを飾った。

 しかし、JRAで高知競馬出身の騎手がいなかったため実力が不透明だったことや、デビュー時ですでに41歳の高齢だったことなどの理由で、騎乗機会にさえ恵まれず。いきなり年間123勝を挙げ、武豊とリーディングを争った“ウチパク”の陰に、完全に隠れる形となってしまった。

 結局、1年目に挙げられたのは、たった2勝。翌年も3つしか勝てず、JRA通算6勝という地方競馬の実績からは考えられない数字でひっそりと引退した。さらに鷹野が「夢」とさえ語っていた息子との同一レースでの騎乗は、次男が競馬学校騎手課程を退学という、なんともお粗末な寂しい結末を迎えてしまった。

 上記の3名だけでなく、数年前は“ウチパク”でさえ「年内引退か」と囁かれた時期があった。今や地方どころか、世界各国のトップジョッキーが続々と参戦しているJRA。地方競馬での実績や肩書だけでは通用しない弱肉強食の世界で、次に志半ばで鞭を置くのは一体誰になってしまうのだろうか。