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野球エリートとプロ野球だけが“球界”ではない! まだまだ閉鎖的な日本野球を刺激する、18歳から30歳まで世界を野球で歩いた男の足跡

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【「月刊サイゾー」立ち読みサイト「サイゾーpremium」より】

 日本にプロ野球のチームは12球団しかない。野球は、日本国内のメジャースポーツの中でもプロになる道が険しい競技のひとつだ。同じように幼少期からプレーし始めても、その中心に立てる人数はどんどんと減ってゆく。だが、一度は競争に敗れた者たちの中で、国内の独立リーグや、アメリカ・カナダ・オーストラリア・欧州各国などさまざまな海外の地域の独立リーグやプロリーグの下部組織で野球を続ける人々がいることはあまり知られていない。自身も高校野球の強豪校から大学野球を経て、今もシーズンごとにさまざまな地域でプレーする現役野球選手である筆者が、その中で出会った同じような境遇の野球人たちの挑戦とその真意に迫る。

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「四国アイランドリーグplus」公式HP

 野球エリートと呼ばれる人たちがいる。青春時代を野球に捧げ、その才に恵まれた選手たちだ。彼らは大観衆が見つめる甲子園を席巻し、大学野球、社会人野球と活躍の場を広げていく。だが、メジャーリーグや日本のプロ野球の舞台に立つとなると、野球エリートの中でもほんの一部の選手だけである。年齢を重ねるごとにプロの世界に立てる可能性は低くなる。

 2006年、日本プロ野球(NPB)とは別に組織されたプロリーグ・四国アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)が発足した。独立リーグと呼ばれ、2007年に北信越を中心に設立されたベースボール・チャレンジリーグ(BCリーグ)と共に、年々その規模を拡大している。野球を職業とするすそ野は、昔に比べてとても広がった。全体としてはNPBの競技レベルには到底及ばないが、独立リーグからドラフト指名を受け、NPB入りしていく選手もたくさんいる(2015年は11名)。選手側からすれば、それだけ選択肢が増えたことになる。野球の本場・アメリカでも独立リーグが誕生してから20数年余り。そこで活躍する日本人選手も、毎年のように出てきている。アメリカだけでなく、現在世界各地の野球リーグに日本人が挑戦しているのだ。

 だが、そうはいっても、ほとんどの選手が30歳までには現役を離れていく。野球に限らず、30歳は大きな区切りになる年齢だ。若者から中年へさしかかり、その後の人生設計をリアルに考え始める。それが一般的な考え方であり、多くの人が辿る道だろう。

 だが、30歳を過ぎても野球から身を引かず、その道で生きていこうとする者もいる。今回紹介する田久保賢植もその一人である。田久保は世界各国の野球を経験してきた。プレイヤーとしてのみならず、2014年にはオーストリアのクラブチームで監督、ナショナルチームでコーチを歴任し、2015年もチェコ共和国でコーチを任され、指導者としての道をも切り開いてきた。さまざまな形で野球を経験し、さらに若い世代のために野球の可能性をもっと広げたいと考えている人物だ。野球との関わり方がグローバルに展開し、多様化している昨今、そのまっただ中で奮闘する田久保の存在は、プロ野球とはまた別の野球界というものが世界に有り得ることを体現している。

野球少年、海外野球と初めて出会う


 田久保が野球を始めたのは、小学校3年生。中学、高校と多くの野球人たち同様、野球一筋の生活を送り、これもまた多くの野球少年たちと同じように、プロ野球選手になることが夢だった。高校も、1年生から試合で活躍できるようにと、自宅から近い八千代西高校に入学する。たとえ強豪でなくても、1年生から目立つことができたらプロへの道はそう遠くないと思っていたからだ。夏の甲子園の千葉県予選では1試合で2本のホームランを放つなど注目を集めるが、大会ではなかなか勝ち上がれず、プロへのアピールの機会は十分とは言えなかった。

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