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女性同士の恋愛と自立を描く『キャロル』の、“赤色”に込められた深い意味

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【リアルサウンドより】

 パトリシア・ハイスミス原作の映画となると、やはり真っ先に想起するのはルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』である。かつて映画評論家の淀川長治先生は、この映画について、同性愛を描いた作品であるという独自の見解を示したことは有名な話だ。とりわけ同性愛について不寛容な時代であったこともあってか、それに賛同する声はほとんどなかったというが、のちにハイスミス自身が同性愛者であることを明かしており、淀川先生の説に信憑性が増した。『太陽がいっぱい』では、自分とは正反対の同性に対する羨望から発展した殺意を描き出し、主演のアラン・ドロンとモーリス・ロネそれぞれが違う形で、相手を支配したいという欲求を剥き出しにする。

 一方で『キャロル』という物語では、二人の主人公の欲求は相手を支配することではなく、自己を支配し確立することに向けられているように見える。夫に飾り物のように扱われることから解放されようとするキャロルと、デパートで働きながらカメラマンを目指すテレーズが出会い、恋に落ちる様は、許されない愛を描くメロドラマではなく、二人の女性が「自立」を得るための勇気ある冒険が描かれているのである。

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