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「ココロに効く(かもしれない)本読みガイド」山本一郎・中川淳一郎・漆原直行

あの一発屋芸人のヤバすぎる「絶望」告白

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『ヒキコモリ漂流記』(山田ルイ53世/マガジンハウス)


【今回取り上げる書籍】
『ヒキコモリ漂流記』(山田ルイ53世/マガジンハウス)

 半生を振り返る系の本でも、あまりにも飾らず、それでいて泣かせず、淡々と事実だけが並んでいって、誰しもが抱える悩みも葛藤も一通り経験した“山田くん”の魂の叫びがずんと響く、そういう感じのヤバい本です。

 子供のころに抱えるちょっとしたプライド、優等生でありたい自分、そこに無理を重ねて育ってきた子供の陥りがちな挫折がそのままその後の若き山田くんの人生に投影されていくさまは、むしろ読む側の心に何か別の問題提起を投げかけます。

 それでいて、山田くんが可哀想すぎず、あっけらかんと述懐しつつ、ひどい父親、微妙な母親、この緩くも悲しい絶妙な距離感。親の見栄もあり、子供の意地もあり、交わりたくても交わらない人生の機微と、望んでいる幸福な家庭までの道のりの長さ。

 個人的には、芸人「山田ルイ53世」の心の堀の深さを感じる代物なのですよ。その後も、ラジオやインターネット記事で山田ルイ53世の執筆モノを見聞きすると、ああこの人は地頭というか、人本来の持つスペックは高いのだろうな、本来は芸人というよりは別の表現のほうが成功に近かった人なんだろうな、と思わずにはいられない。そして、相方になっているひぐち君に関する思い。ああ、まあこの辺は意地なんだろうなあ、と思うんですけど、つまりは「相方は絶対に見捨てない」という根性のようなもの。

 芸人の世界について垣間見るならば、それこそ「うまい具合にやっている代表例」がピースの又吉直樹さんの『火花』(文藝春秋)や「別冊文藝春秋」に収録されていた『そろそろ帰ろかな』(同)であり、あるいは劇団ひとりさんが手がけた『陰日向に咲く』(幻冬舎)や『青天の霹靂』(同)なども天井に煌く感じの事例かと思うんですよ。ただ、山田ルイ53世の描く世界観は、そういった趣の作品とも違う、ある種の地に足の着いた人間の実録、顔に差す陰の部分だろうと。

 そして、ひとりの脱落者が、不幸な家庭を脱して最低限の生活を送り、何度も“リセット”を試みながらも挫折を繰り返し、これといった成長も安定も幸せも掴むことなく社会の片隅でもがき続ける。文字通り、じたばたしている。その労力の割に、成長している感はどこにも見受けられないけれど、何か仕切り直しをしようとし、がんばって何かに取り組もうとして、それでいてちょっとしたことで、足を引っ掛けて失望の淵に我が身を追いやり、再びリセットして立ち上がろうとする。