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今から20年前、まだ「大企業に勤めれば一生安泰」だった 『しんがり』は働く人たちに希望を与える本だ

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※画像:『しんがり 山一證券 最後の12人』(清武英利著、講談社刊)

 歴史好きならば「殿軍(しんがり)」というワードを知っているだろう。戦に敗れて退却するときに、軍列の最後尾に踏みとどまって戦う兵士たちのことだ。彼らが楯となって戦っている間に、多くの兵は逃れて再起を期す。

 逆にいえば「しんがり」を任された人たちは、命を捨てて追撃を抑えなければいけない。

 1997年。山一證券が自主廃業したとき、社員だけでなく役員までも、再就職へと走り出している中、「しんがり」として仕事を続けた人たちがいた。これは、現代における「しんがり」の物語である。

■20年前はまだ「大企業にいれば安泰」だった。しかし…

 『しんがり 山一證券 最後の12人』(清武英利著、講談社刊)は、最後まで会社に踏みとどまり、真相究明と顧客への清算業務を続けた社員たちを描いた一冊だ。

 もはや、大企業に就職さえしてしまえば一生安泰という時代ではない。しかし、1997年当時は、「大企業が潰れるはずがない」と、まだ誰もが思っていた時代。それも、野村、大和、日興と並び四大証券の一角を占める山一證券が破綻に追い込まれたのだ。

 記者会見場で自主廃業を発表した野澤正平社長(当時)は、テレビカメラや報道陣の前で「社員は悪くありませんから! 悪いのはわれわれなんですから! お願いします。再就職できるようお願いします」と泣きながら叫んだ。山一證券の自主廃業は、日本の終身雇用と年功序列が終わったことを示していたのかもしれない。

■会社の清算業務にあたった部署

 従業員組合は、最後に野澤社長に再就職支援などの5項目の要求を突き付けた。しかし、この要求から抜け落ちたことが2つあったという。1つは、2,600億円にも上る債務隠しの真相究明。もう1つは、1年半を要した会社の清算業務。社員たちが集めてきた24兆円の預かり資産を顧客に確実に返していく後ろ向きの仕事だった。

 社内の権力者やその取り巻き、エリート社員は最後の仕事現場にはおらず、これらの仕事をしたのが、「場末」と呼ばれたビルで、会社の中枢から離れたところでばかり仕事をしてきた社員たちだった。それは、業務管理本部、通称「ギョウカン」。ここはいわば「窓際社員」が集まる職場である。ここで、「組長」と呼ばれ、社内調査委員会を組織し、破綻原因を究明する中心となった人物が、常務の嘉本隆正だ。

 山一社員は再就職に困らなかったというデータがあるという。破綻からひと月で社員の4分の3は再就職を決め、残りの人たちの多くも、失業保険が切れる前には転職先を決め、マスコミ報道では「9割以上が再就職できた」とされた。

 しかし、しんがりに加わった社員たちは、仕事を失い、自社株の形で残してきた老後の資金を失い、さらに会社に踏みとどまった分だけ、第二の人生は遅れて始まることになる。その後、調査員の7人のうち、山一から転じた再就職先で第2の人生を全うしたものは1人もおらず、転職を繰り返した。