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『園子温という生きもの』と『ひそひそ星』に見る、園子温監督の多面的な表現世界

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【リアルサウンドより】

(メイン写真『園子温という生きもの』場面写真)

 何時何分何秒、刻一刻と時間が過ぎていく。『桂子ですけど』は、園子温監督の初期の頃の作品だ。もうすぐ22歳を迎える桂子の、時間と自己との関係性。ただそこにあるのは、桂子の何気ない日常と、刻まれて行く時間と、桂子の時間に対する語りだけである。その単調な繰り返しで、1時間1分1秒が過ぎて行った。驚いたのは、その後の自分の時間に対する感覚の変化である。まるでサブリミナル効果かのように、その記憶はいつの間にか体に強く刻まれており、その効果にハッとさせられた。

 『園子温という生きもの』冒頭。無造作に塗り付けた絵の具を、感情の赴くまま指で伸ばし、真っ白なキャンバスを滅茶苦茶に汚していく。若干テキトウで、酔いが回ってふざけているかのようにも見えるが、その言葉は確実に真意を突いている。「いい悪いでなく、描いて、表現して生きることが、人間にとっていいこと」なのだと、園子温は言う。ただただその言葉が、園子温そのものを表し、また園子温の原点なのだろうと思った。映画としてどうかというより、もうそれを越えて表現なのである。「芸術は爆発だ!」なぜか、岡本太郎の言葉を思い出した。映画ももとはと言えば、真っ白なキャンバス、表現である。そこに絶対的な形など存在しない。

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