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片山修のずだぶくろトップインタビュー 第2回 木村皓一氏(株式会社ミキハウス代表取締役社長)

ミキハウス、ゼロから世界トップブランドへの「無私の経営」…五輪選手を多数輩出の理由

構成=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

片山 基本は国内生産と伺いました。

木村 僕は、日本で雇用して日本の工場でつくって、「メイドインジャパン」でやりたい。日本の工場をいかにして維持していくかを考えています。世界で唯一、値段がナンボになっても、徹底的に品質のいいもんをつくる会社になろうというてます。それをわかってくれる方にお買い上げいただきたい。

片山 ミキハウスは、欧米やアジアなど13カ国で展開しています。その品質は、世界でも高く評価されています。

木村 ロンドンにある百貨店「ハロッズ」には、13年に出店しました。日本で唯一のアパレルブランドです。昨年10月には店舗面積を大幅に拡張して、グッチやディオールなど世界の名だたるブランドと軒を連ねています。去年の夏に行ったとき、ハロッズの担当者から「不思議や」いわれましたわ。「クレームがない」と。品質に対する信頼感は大きいですよ。お客さんから品質のクレームはまったくない。

片山 ミキハウスは、子供服では世界トップブランドといっていいですね。

木村 子供服、ベビー服の高級ブランドという位置づけは、世界で見てもコンペティターがいないんです。

一から築いた販売網を自らなくす

片山 26歳で創業されて、一代でここまでのブランドを築き上げた。もっとも苦しかったのは、何ですか。

木村 2000年に大店法(大規模小売店舗法)がなくなったときですね。それまでミキハウスは、百貨店はイメージ戦略で、町の小売店で稼いでいた。ところが、大店法がなくなると町の小売店は厳しくなる。一方で百貨店のビジネスは、これまで利益なんて考えたことがなかったのに、今度は稼がないといけなくなる。この切り替えは大変でしたね。

片山 木村さんは、創業当時、自ら小売店を行商して歩き、販売網を一から築いていかれましたね。その小売店を、今度はなくしていく。それは衝撃的な変化ですね。

木村 商品を卸している小売店は、全国に約3000軒ありました。大店法がなくなったら、小売店はあかんようになるのはわかりきっていましたが、それまで世話になったお店ですから、黙って自分だけ百貨店に入るような裏切り行為はできません。

 11年かけて一軒一軒足を運び、話をつけて、整理していきました。「廃業なさって、貸店舗にしたらどうですか」って、ひとりで説得して回りましたよ。ホンマにきつかった。けど、一軒もクレームはきませんでした。売り上げは激減しましたけどね。

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

愛知県名古屋市生まれ。2001年~2011年までの10年間、学習院女子大学客員教授を務める。企業経営論の日本の第一人者。主要月刊誌『中央公論』『文藝春秋』『Voice』『潮』などのほか、『週刊エコノミスト』『SAPIO』『THE21』など多数の雑誌に論文を執筆。経済、経営、政治など幅広いテーマを手掛ける。『ソニーの法則』(小学館文庫)20万部、『トヨタの方式』(同)は8万部のベストセラー。著書は60冊を超える。中国語、韓国語への翻訳書多数。

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