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江川紹子の「事件ウオッチ」第63回

【豊洲・盛り土問題】での謝罪は形だけ!無責任を極める石原元都知事の「罪」と都政の行方

文=江川紹子/ジャーナリスト

 盛り土から地下空間へと変更になった当時の市場移転の責任者が、決裁書類に判を押していながら「盛り土がされていないことは知らなかった」などと言っているのを聞いていると、このように責任の所在がはっきりしない状況で重大な物事が決められていくのは都の体質ではないのかと思えてならない。たとえ、工法の変更が、技術者の善意(震災対策や万が一の汚染漏れの時の対応によかれと思ってなど)であったとしても、それは決められた手続きに沿って行われなければならないし、そのプロセスは記録に残し、情報は関係部署が共有されるべきだ。

 それがなぜなされていないのか。このようなガバナンスの不在ともいうべき事態は、盛り土問題に限ったことではないのではないかという疑問も湧く。13年半もの間、都知事を務めた石原氏は、こうした疑問に対して「自分は関係ない」とは言えないはずである。

 たとえば、石原氏は都知事時代、週3日ほどしか登庁しないと指摘されてきた。そうすれば、特にこだわりのある課題以外は役人任せとなってしまうのも、むべなるかなである。こうしたトップの態度が、現場に与えた影響は少なくないだろう。

 都知事という要職は、何年たっても在任中の問題に関しては説明責任を負う。日頃、人を侮辱するような放言・暴言を好きなように吐きながら(先の都知事選でも、小池氏を「ウソつき」「大年増の厚化粧」と罵倒した)、都合が悪くなると年のせいにして取材拒否というのは、無責任の極みと言わねばならない。

突きつけられた自省と検証

 それにしても、この程度の通告文で追及をかわせると石原氏が思っているのだとしたら、メディアもなめられたものである。これまでも、メディアはなぜか石原氏に対しては追及が緩やかだったせいだろうか。

 たとえば、舛添要一前都知事に対しては、高額な海外出張費や政治資金の使い道の公私混同ぶりが激しく批判され、テレビでも連日のように大々的に報じられた。家族にも取材が及び、舛添氏の弁明記者会見は全国に生中継され、「どうしたら辞めていただけるのか」などとメディアはひたすら辞任を求めた。

 一方の石原氏の税金の公私混同ぶりも相当なもので、舛添氏以上ともいえる。都議会議員選挙のまっただ中に、「(選挙応援が)面倒くさい」からと外遊に出かけ、ガラパゴス諸島で豪華クルーズ船で4泊5日のクルーズを楽しんだ。また、画家である四男を都の文化事業に関わらせ、海外出張費などの公費を支出させた。身内との飲食まで経費で落とすなど、「せこさ」も舛添氏に勝るとも劣らない。しかし、舛添氏に対する追及に比べて、大手メディアの批判は非常にゆるかった。

 1400億円の血税をつぎ込むことになった新銀行東京についても石原氏は、「銀行を発案したのは私だが、私がプランをつくったわけではない」と述べるなど、責任を当初の経営陣に押し付けた。日中間の火ダネとなっている尖閣問題も、“出火元”は石原氏だ。森本敏元防衛大臣も、テレビ番組ではっきり「中国が領海侵入をし出したのは、石原さんが2012年に尖閣を買おうとしてから」と言っている。それでも、こうした問題について、石原氏への批判は限定的だ。

 石原氏といえば、高齢の女性を罵倒した「ババア」発言など、さまざまな暴言や放言を繰り広げてきた。ほかの政治家なら辞任に追い込まれるような発言もあり、しばしば物議を醸しながらも、ある種の“個性”として、なんとなく許されてきた。

 このようなメディアの甘さが、石原氏の増長を許してきたともいえるのではないか。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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