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安倍政権、天皇の生前退位を是が非でも回避の「狡猾」な抵抗…「政権崩壊」という歴史的運命

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天皇皇后両陛下(代表撮影/ロイター/アフロ)

 やはり、安倍晋三政権は、今上天皇の生前退位について、結論の引き延ばしを図っているようだ。

 天皇陛下の生前退位をめぐる「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」(座長・今井敬経団連名誉会長)は、専門家からの意見聴取を始めた。対象は皇室制度や憲法、歴史分野の学者、ジャーナリストら計16人で、3回に分けて実施する。国事行為を代行する「摂政」設置や退位の是非、退位を恒久的に制度化する是非など8項目に関し意見を求め、来年初めに見込まれている論点整理に向けて検討する。

 しかし、そもそも生前退位を「公務の負担軽減等」と言い換えるあたり、本質的な議論を避けようとする意図が見え隠れしている。

 歴史研究者からは、次のような声も聞こえてくる。

「天皇が代替わりすると、時の内閣も替わってきたという歴史的経緯がある。安倍政権はそれを強く意識しているのではないか」

 明治以降の歴史を見ると、不思議な法則が浮かび上がってくる。10月に『日本人が知らない「天皇と生前退位」』(双葉社刊)を上梓した八柏龍紀氏に聞いた。

「まず、孝明天皇から明治天皇に替わった1868年に、江戸幕府から明治政府に替わっていますが、その明治天皇は1912年の夏に崩御され、元号は『大正』になります。そして、このとき第2次西園寺内閣は陸軍の二個師団増設問題により、総辞職に追い込まれています。この時代は桂太郎と西園寺公望が交代で政権を担当し『桂園時代』と呼ばれていますが、第2次西園寺内閣の後に組閣した第3次桂内閣も『憲政擁護・門閥打破』を掲げた民衆の憲政擁護運動が高まり、62日間で総辞職。これがきっかけで桂園時代は終焉を迎えるという大きな変動が起こります」(八柏氏)

 大正天皇が1926年冬に崩御され、元号は「昭和」になる。

「1926年は加藤高明首相が1月に、現職総理のまま病で急逝。若槻礼次郎が組閣しますが、その翌年には、片岡直温蔵相の『東京渡辺銀行が破綻致しました』という失言をきっかけに金融不安が顕在化し金融恐慌が起きました。そのとき、経営危機に陥った台湾銀行を救済する緊急勅令案を、若槻内閣の外交政策に不満を持っていた枢密院が否決したことで、若槻内閣は総辞職に追い込まれています」(同)