NEW

「メデジンの悲劇」だけじゃない!伊セリエAなど一流サッカーチームの旅客機死亡事故の歴史

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
UEFAチャンピオンズリーグで「メデジンの悲劇」の犠牲者を追悼する様子(写真:Winner Media/アフロ)
 11月28日、衝撃的な事故が起きた。ブラジルのサッカーチーム・シャペコエンセのメンバーを乗せた旅客機がコロンビアで墜落したのだ。選手・首脳陣ら47名が死亡、生存した3名の中にも片足切断の大けがを負う選手が出るなど、大事故となった(全体では71人が死亡、6人が救助)。旅客機はメデジン近郊に墜落したことから、今回の事故は「メデジンの悲劇」ともいわれる。


 実は、このようなサッカーチームの旅客機事故は今回が初めてではない。今回は、そんな過去の事故について紹介したい。

スペルガの悲劇(1949年)


 1949年5月4日。この日、イタリア・トリノは激しい雷雨に見舞われていた。視界不良の中、セリエA・ACトリノ(現・トリノFC)の選手、スタッフを乗せたチャーター機は、ポルトガル・リスボンで行われた親善試合を終え、帰路についていた。間もなくトリノに到着しようかというときのこと。パイロットがコントロールを誤り、郊外の丘陵地に建つスペルガ聖堂の外壁に激突。機体は原形をとどめないほど無残に大破した。

 この事故により、同チームは選手18名、監督、コーチ、フロントら5名の計23名が死亡。主力選手のほぼ全員を失ってしまったことで、リーグ連覇を成し遂げるほどの強豪だったが低迷、セリエB降格も経験した。優勝の栄冠を再び勝ち得たのは、事故から27年後のことだった。

ミュンヘンの悲劇(1958年)


 58年2月6日、現在のUEFAチャンピオンズリーグの前身であるユーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップ(以下、チャンピオンズカップ)のアウェイ戦を終えた後、マンチェスター・ユナイテッドFC(以下、マンU)のチャーター機は、給油のために西ドイツ(当時)・ミュンヘンの空港に立ち寄っていた。離陸の際、悲劇が起きる。十分な加速に達せず、フェンスを突き破り300メートル離れた空き家に激突、炎上してしまったのだ。

 この事故により、乗員乗客44名のうち23名が死亡。選手は8名が死亡、2名が再起不能となった。犠牲者の中には若きエースだったダンカン・エドワーズ(当時21歳)などの主力選手も多く、チーム力は急激に低下。当時、準決勝まで勝ち抜いていたチャンピオンズカップも敗退してしまう。

 その後、奇跡的に生還した監督のマット・バスビーと若手有望株のボビー・チャールトンが中心となってチームを再建。プレミアリーグとFAカップで優勝を果たし、事故から10年後の68年には悲願だったチャンピオンズカップ優勝も果たしている。

「メデジンの悲劇」だけじゃない!伊セリエAなど一流サッカーチームの旅客機死亡事故の歴史のページです。ビジネスジャーナルは、エンタメ、コロンビアサッカーシャペコエンセチーム事故旅客機の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!