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金子智朗「会計士による会計的でないビジネス教室」

成功者や富める者に実は共通している「経験」…そうではない「あなた」との決定的違い

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 私の親しい友人にも、一等地に自分の事務所を構えて活躍している弁護士や、戦略系コンサルティングファームから独立して活躍しているコンサルタントなどの「プロ」がいる。現在の彼らを見れば、ただただ「すごいですね」ということになるが、最初からそうだったわけではない。

 弁護士の友人は、司法試験に合格するために死ぬほど勉強したと言っている。コンサルタントの友人は、アメリカのビジネススクール時代「後にも先にもこんなに勉強したことはなかった」と言っている。プロのはしくれである私も、働きながら寝る間を惜しんで公認会計士の勉強をしていた頃、家族は「この人、公認会計士になる前に死ぬかもしれない」と本気で思ったそうだ。

学問のすすめ』の言わんとしていること


 それで思い出すのが、福沢諭吉の『学問のすすめ』である。

『学問のすすめ』といえば、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」のフレーズで有名だが、実はこれは福沢が言ったことではない。だいたい、このフレーズではちっとも「学問のすすめ」になっていない。

 福沢は、「と一般には言われている。しかし」と言っているのだ。福沢が本当に言いたかったことは、「しかし」の後に続くことなのである。彼は、「しかし、現実は貧しい者も富める者もいて、その差も天と地ほどの差があるじゃないか。それはなぜなんだ」と言っているのだ。そして、その答えが「学ぶと学ばざるとの差」と言っているのである。まさに「学問のすすめ」である。

 そして、「成功している人を見ると、とても自分はそんな人にはなれないと思うかもしれないが、それもすべては努力したかどうかの違いなのだ。誰しも生まれながらにして成功が約束されていたわけではないのだ」という趣旨のことを言っている。福沢も不連続な努力の必要性を説いているのである。

 ただし、努力すればいいというものでもない。どっちに向かって努力するのかという“努力の方向性”がまず重要だ。それを間違えたら、いくら努力をしても成果は出ない。

 また、努力していること自体に評価を求めてもいけない。プロが評価されるのは成果だけである。プロに努力賞はないのである。
(文=金子智朗/公認会計士、ブライトワイズコンサルティング代表)