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「本能寺の変は満月の夜」…NHK『真田丸』は間違い?明智光秀、闇夜を狙って信長討ちか

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京都府京都市中京区にある「本能寺跡」の石碑
 昨年放送されて人気を集めたNHK大河ドラマ『真田丸』。第4話の「挑戦」では、本能寺の変が描かれていた。


 歴史好きならずとも、「本能寺の変」の名を一度は聞いたことがあるだろう。天正10年(1582年)6月2日未明、天下統一を目前に控えた織田信長が、家臣の明智光秀にそむかれて命を落とした事件だ。

 当時、備中・高松城を包囲中の羽柴秀吉を救援しようとしていた信長に対して、先発していた光秀が謀反。京都の本能寺に宿泊していた信長を襲撃したのである。戦国時代の様相をガラリと変えた、一大クーデター劇だった。

現代の本能寺にある「信長公廟」
 ところで『真田丸』では、本能寺の変の晩に満月がワンカット挿入されており、これから起こる大事件を予感させる雰囲気が巧みに表現されていた。しかし、これは厳密に言えば大間違い。ドラマ上の演出である。本能寺の変の晩は、月のない闇夜だったのだ。なぜ、そんなことが言えるのか。ヒントは暦にある。

昔は1年が13カ月だった?


 現代に生きる我々は、太陽暦で暮らしている。しかし、我が国は平安の昔から、ずっと旧暦を使っていた。太陽暦に移行したのは、明治6年(1873年)からだ。それまでの約1000年間は、中国の暦法をほとんどそのまま使用していたのである。

 現在では「旧暦」と呼ばれることが多い昔の暦は、月の満ち欠けを主軸に据えて太陽の運行を補助的に使用するもので、正確には「太陰太陽暦」という。

 この太陰太陽暦の大きな特徴は、「閏月」である。月の地球に対する公転周期は約29.5日。旧暦では29.5日×12カ月で1年が354日になる。このままでは季節とのずれが生じるので、太陽暦に従って数年に一度閏月を挟み、調整する。つまり、旧暦時代、1年は12カ月とは限らなかったのだ。

明治政府の強引な改暦で世間は大混乱


 文明開化の世を迎えた明治5年(1872年)11月9日に出された太政官布告によって、日本では、その翌年から太陽暦を採用することになった。当時の布告には、こうある。

「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」

 つまり、「旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日にする」という布告である。しかし、この発表は突然すぎたために世上は大混乱をきたした。江戸時代から続いていた暦業者はすでに翌年の暦の印刷を終えており、急遽新しい暦を作成する必要に迫られた。そのため、「業者の多くが大損した」と当時の新聞は伝えている。

 しかし、なぜ明治政府はこれほど急な改暦を断行したのだろうか。この時期に参議だった大隈重信は『大隈伯昔日譚』という回顧録のなかで、当時の政府の興味深い事情を書き残している。

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