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戦前の天皇は「大富豪」だった?皇室財産は3千億円超相当との資料も

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昭和3年(1928年)、即位礼に臨む昭和天皇(「Wikipedia」より/Barakishidan)
 戦前、皇室は莫大な資産を保有していたという話がある。


 昭和20年(1945年)に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が発表したところによれば、当時の金額で実に15億9000万円。単純換算は難しいが、企業物価指数にしたがって計算すると、現在の約3052億8000万円にあたる。

 ただし、これは土地・建物・林材・現金・有価証券のみであり、美術品や貴金属・宝石類は含まれていない。昭和21年(1946年)に衆議院および貴族院において政府より配布された「御陵財産概況」も15億5000万円としており、有価証券の価値の変動による増減はあるものの、おおむね同様の概算をなしている。

 一方で、財産税納付のための財産調査においては37億1563万円、さらに会計検査院の取りまとめた「終戦時における旧皇室財産現在高及びその後の第一次異動調書」においては31億7300万円とされており、2倍以上の数値となっている。

 この差異は、何を「皇室財産」とするのか、どこまで含めるのか、という点において、大きく変動した結果である。いずれにせよ、戦前期において皇室財産とされたものは現在の金額で数千億円をくだらないということになり、これが個人あるいは一族の所有する資産と考えるのであれば、莫大なものと評して差し支えないだろう。

天皇の直接管理ではなかった皇室財産


 そもそも、戦前の「皇室財産」とはどのようなものだったのだろうか。

 明治期、版籍奉還によって土地は天皇に返されたとはいえ、それは国有に帰したということであり、天皇の私有となったわけではなかった。また、帝室費は計上されてはいたが、大蔵卿の管掌とされ、天皇の恣意の下に自由に支出することはできなかった。

 そこで、皇族の品位保持のためにも「皇室財産の設定が必要である」という声が、木戸孝允らを中心に上がった。また、自由民権運動において国会開設の機運が高まったことも大きい。

 国家予算は国会の承認を得なければならないため、帝室費の予算もこれに含まれるのは、はなはだ不都合とされた。そこで、ヨーロッパの君主制国家同様に国費と宮中の予算を分離し、一般会計法の外に置かれることになったのである。

 さらに、岩倉具視らによって、この特例的な会計の中に既存の国家財産を含ませ、それによって国会の干渉を受けない財源をつくりだそうとされた。官有林や日本銀行、横浜正金銀行、日本郵船などの政府保有株式が加えられていったのである。

 かくして「皇室財産」は形成され、膨れ上がっていく。そして、それは当初より天皇の「私有財産」と呼べるようなものではなかった。実際、当初は陸海軍の予算を、この「皇室財産」から賄おうという提案さえなされている。

 明治43年(1910年)には、皇室令として「皇室財産令」が布告される。これにより、財政における「宮中府中の別」が明確となる。ここで、重要な事項のひとつに総則第五条がある。

 それは「御料ハ宮内大臣之ヲ管理ス」というものであり、すなわち「皇室財産」に関する管理運用についての当事者は、天皇ではなく宮内大臣であるとされているわけだ。これは、天皇が「皇室財産」を直接的に管理運用することで権威が失われる恐れがあるとされたための措置であった。

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