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凋落が止まらない! アパレル業界「失われた10年」が抱える深い闇

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※画像:『誰がアパレルを殺すのか』(杉原淳一・染原睦美著、日経BP社刊)

 いよいよ夏の盛りに入るわけだが、百貨店や路面のアパレルショップをのぞくと、早くも今年の秋冬物の新作が並び始めている。しかし、「待っていました」とそこに集まる人々は、どの店を見てもまばらだ。

 ファッションの買い物はネットに移行してしまったのだろうか。それとも、アパレル業界が不調なのだろうか。

 実状は両方といえる。そして、特に後者である。アパレル業界は今、底の見えない大不振に喘いでいる。

■アパレル業界の「失われた10年」

 アパレル業界の凋落は、バーバリーにライセンス契約を「切られた」三陽商会のその後の業績不振や、アパレルと運命共同体ともいえる大手百貨店の相次ぐ閉店などをニュースとして知っていれば察しがつくかもしれないし、ファストファッション全盛の現状からも推し量ることができる。では、なぜこんな事態になってしまったのか。

『誰がアパレルを殺すのか』(杉原淳一・染原睦美著、日経BP社刊)に、「失われた10年間」という言葉が出てくる。これは、「バブル崩壊後の10年間」という一般的な意味ではなく、高度成長期のただ中だった1970年代を指す。

 当時、ファッションは右肩上がりの所得と、ゆとりのある生活の象徴であり、本書によると、服は作れば作っただけ売れた時代だったという。日本人デザイナーが海外のファッションショーで賞賛を集めていたのもこの時期。いってみれば日本のアパレル産業の黄金期だったわけだ。

 ただ、この10年間の利益が、事業の進化のために再投資されることはなく、非効率な業界慣習が見直されることもなかった。現在の苦境は、この時期のツケが回ってきているといえるのだ。

■大手アパレル企業がわからなかった「ユニクロ」の本当の凄み

 とはいえ、バブル崩壊がアパレル業界にとって一つの転機となったのは間違いない。それまで、どんなに高い値段をつけても、ブランドの名があれば服は売れたが、この出来事を境にそうはいかなくなった。

――1990年代を起点として、アパレル業界に「商品単価の大幅な下落」という大きな変化が起きた。1991年を100とした場合の購入単価指数は、2014年には60程度まで落ち込んでいる。(P22より引用)

 これは、バブル崩壊によって消費者の財布のヒモが固くなったことで、百貨店を主戦場としていた、いわゆる「ブランド物」の服が売れなくなり、ユニクロに代表されるファストファッション勢が伸びてきたことを表している。

 この状況を受けて、アパレル大手は打つ手を決定的にまちがえた。ユニクロなどのファストファッションの成功から学ぶまではよかったが、単純なコスト減のためだけに生産拠点を中国に移したのだ。

 この選択への本書の指摘は痛烈だ。ユニクロの例を出すなら、その強さの本質は生産拠点が中国にあり、低コストで大量生産できることではなく、製造から販売までのサプライチェーンの各部の情報を把握し、合理的に管理していることだとしている。

 これは、具体的にいえば、店頭で何が売れているのかを把握したら、その売れ筋商品の生産を中国のどの工場に任せるのが最適かを知っているということ。この点を踏まえずに、コスト減だけを求めて生産拠点を海外に移すのは、ファストファッションの成功企業の表面的な真似事にすぎない。

 結果として起こったことは戦略なき薄利多売への方向転換だ。スケールメリットで単価を下げる代わりに、大量の商品を百貨店やショッピングモール、駅ビルにばらまくのが常態化した。そこには戦略も合理性も、消費者ニーズへの配慮もない。すべては「目先の売上を立てたい」という内輪の論理に基づいて行われていた。

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