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上昌広「絶望の医療 希望の医療」

日本の国家的「がん治療」研究、世界の潮流と逆行…成果は期待薄、医師主導の限界

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 また、7月12日付日本経済新聞朝刊に掲載された『ゲノム医療の米NPO 難病診断、日本と協力 責任者が意欲』という記事のなかで、ハドソンアルファ・バイオテクノロジー研究所のハワード・ジェイコブ最高ゲノム医療責任者は、「全ゲノムの解読データを使う方向に向かう」と明言し、日本がパネルシークエンスを推進していることに対し、「この方法は既知の変異しか調べられない」と批判している。

 ジェイコブ氏は元はウィスコンシン医科大学の研究者で、09年にニコラス・ヴォルカー君(当時4歳)の原因不明の重症の腸炎を、全エクソン解析を行い、XIAP遺伝子の変異によるものと突き止めた人物だ。ニコラス君は、臍帯血移植を受け寛解した。全エクソン解析が救命した世界初の症例として注目を集めた。「ミルウォーキー・ジャーナル・センチネル」の取材班は10年12月にこのニュースを報じ、翌年にピューリッツァー賞を受賞した。

 ジェイコブ氏の下で全エクソンシークエンスの結果、実際に発見した約5000の変異から半年をかけてXIAP遺伝子の変異が原因であると突き止めたのは、リズ・ワーシー氏だ。同氏は今年3月に東大医科学研究所を訪問し、講演している。その講演に参加した井元清哉・東大医科研教授は「実際に全ゲノムシークエンスもパネルシークエンスもやっている彼らが、前者を推奨するのは説得力がありました」という。

大人の事情


 世界の趨勢は全ゲノムシークエンスなのに、なぜ日本はパネルシークエンスに力をいれるのだろう。私は“大人の事情”が関与しているのではないかと考えている。

 一つは情報工学者の「偏在」だ。いまや世界のゲノム研究を推し進めるのは、医師ではなく情報工学者である。ところが、厚労省でこの事業を遂行する国がんは情報工学者の層が薄い。加藤護氏のような情報工学の専門家もいるが、人数は少なく、管理職の医師の下に組み込まれている。医師が仕切る国がんでは肩身が狭いといっていいだろう。
 
 日本のゲノム研究の中心は、理化学研究所と東大医科学研究所のチームだ。現在のリーダーは情報工学者である宮野悟・東大医科研ヒトゲノム解析センター長だ。昨年、従来の治療が効かない白血病患者の全エクソンを解読し、IBMの人工知能ワトソンを用いて、患者に最適な治療法を提案した。この患者は治療に劇的に反応した。このことは「人工知能が救命した最初の患者」として広く報じられた。このプロジェクトをリードしたのが宮野教授だ。

 現在、日本の医学界でもっとも生産性が高いのは、小川誠司・京都大学教授(腫瘍生物学)だろう。13年4月に京大教授に就任して以降、最終著者として、『ネイチャー』1報、『サイエンス』2報、『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』1報を発表している。

 小川教授を飛躍させたのは、宮野教授とのコラボレーションだ。小川教授は東大在籍時に共同研究を持ちかけた。小川教授は腫瘍やゲノムについて、深い洞察力を有している。彼のアイデアを、宮野教授が分析し論文として発表した。それが前述の小川教授の論文だ。

 ゲノム医学を進める上で、医師と情報工学者の連携は欠かせない。今後、情報工学者の重要性はますます高まるだろう。土屋了介・神奈川県立病院機構理事長が、宮野教授を抜擢し、神奈川県立がんセンターの総長に任命した(東大教授と兼任中)ことなど、その象徴だ。情報工学者ががんセンターのトップに就くなど、以前なら考えられない。

 ところが、国がんは伝統的に医師が仕切る組織で、情報工学者の層は薄い。医師を中心とした国がんの研究チームが普通にやっていては、宮野教授たちに太刀打ちできない。うがった見方をすれば、彼らとの差別化のため、パネルシークエンスという方法を採用したとの解釈も可能だ。

 パネルシークエンスは、医師にとっても都合が良さそうだ。なぜなら、パネルシークエンスでは「臨床的に意味がある特定の遺伝子」を選択しなければならないからで、これは医師の専権事項だからだ。パネルシークエンスを前面に押し出すことで、情報工学者たちより優位な地位に立つことができる。

 また、パネルシークエンスを選択することは、シスメックスなどの日本企業にとっても都合がいい。全ゲノムや全エクソンのシークエンスでは、先行するイルミナ社などの海外企業に太刀打ちできない。しかしながら、特定の遺伝子に限定した日本人向けのパネルシークエンスでは、彼らとの差別化が可能になるし、海外企業への「参入障壁」として機能する。

 日本では年間に86万人ががんと診断される。その半数が治療前にパネルシークエンスの検査を受ければ、1000億円を超える新しい市場ができ上がる。シスメックスは、そのデファクトスタンダードを獲得しようとしているのかもしれない。ビジネスとして着眼点は素晴らしい。

 ただ、こんな内向きの思考でいいのだろうか。東大・国がん・厚労省が一致団結し、日本版ゲノム医療の推進に邁進している。中核にいるのは相変わらず医師だ。ゲノム医療は専門分化しているのに、情報工学者や医療倫理、さらに患者の顔が見えない。こんなことを続ければ、日本のゲノム医療はガラパゴス化し、国際競争力を失ってしまうだろう。安倍政権が打ち出す成長戦略とは真逆の結果となる。

 密室で「パネルシークエンス推進」と決めるのではなく、日本社会はもちろん、世界に開かれた議論を積み重ね、研究者たちには切磋琢磨してもらいたいものだ。
(文=上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長)

●上昌広(かみまさひろ)
1993年東大医学部卒。1999年同大学院修了。医学博士。 虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の診療・研究に従事。
2005年より東大医科研探索医療ヒューマンネットワークシステム(後に先端医療社会コミュニケーションシステム)を主宰し医療ガバナンスを研究。 2016年3月退職。4月より現職。星槎大学共生科学部客員教授、周産期医療の崩壊をくい止める会事務局長、現場からの医療改革推進協議会事務局長を務める。

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