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名古屋の伏見地下街がヤバイ&熱い!瀕死状態から奇跡の復活、誕生から60年目の大変貌

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名古屋市の伏見地下街

 名古屋市の伏見地下街──と聞いて「知ってる!」と答える方は、やはり愛知県の方々が多数を占めるだろう。率直に言って、全国区の有名商店街ではない。

 だが、たとえば検索エンジンに「伏見地下街」と入力してみると、その多様な検索結果に驚かれるはずだ。「新・立ち飲みパラダイス」「あいちトリエンナーレがもたらしたまちの変化」といった魅力的なタイトルの記事が見つかり、またコーヒーやハンバーガーの名店が紹介されていたりするなど、その“実力”が伝わってくる。

 現在、全国の商店街が苦境に立たされている。2000年、規制緩和の流れで大規模小売店舗法が廃止され、各地で大型量販店の進出が激化した。その結果、多くの商店街が客を取られて衰退し、いわゆる「シャッター通り」に転落していった。

 この伏見地下街も10年までは衰退の一途をたどっていた。しかしながら今、奇跡の復活をなし遂げようとしている。成功のキーワードは「アートイベント」だ。地下街運営の中心に立つ、伏見地下街理事の岡田真太郎氏に話を聞いた。

寂れた地下街に垣間見えた“可能性”

―─岡田さんは名古屋の伏見地下街の理事のほかに、美術商の顔もお持ちだと伺っています。

岡田真太郎氏(以下、岡田) はい。地下街運営にかかわる前から、美術商として活動していました。そちらでアーティストさんたちとのつながりがありまして、渋家(シブハウス)も作品として取り扱っています。またアーティストさんやさまざまな美術関係者の相談相手になっています。

―─地下街の理事が先ではないのですね。どのようなきっかけで名古屋の伏見地下街の運営にかかわるようになったのですか。

岡田 もともとは 2010年の「あいちトリエンナーレ」の様子を見に伏見に来たのが始まりです。個人的にアートイベントを見に来ただけでした。当時の伏見地下街は寂れていましたが、伏見駅に直結し、伏見周辺は金融街でサラリーマンも多いため、可能性を感じました。そこで伏見地下街のことを色々と調べました。

―─駅直結以外にも、利点があったのでしょうか。

岡田 おもしろいことに、伏見地下街は地下鉄に直結していますが、地下鉄の持ち物ではなかったのです。地上にある長者町繊維街という問屋街が好景気だった1957年につくられた地下街で、問屋街の支店が多く軒を連ねていました。運営は組合というかたちで、店舗所有者の合議制で行われています。また、店舗1軒につき1票というのが組合のルールでした。だからこそ、外からきた新参の私も地下街の運営に参加できたのです。

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