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衰退で「人が歩いていない」兜町、なぜ観光客急増でブーム?再開発続出で繁華街化? 

文=小川裕夫/フリーランスライター
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衰退で「人が歩いていない」兜町、なぜ観光客急増でブーム?再開発続出で繁華街化? の画像1東京証券取引所(「Wikipedia」より/Fg2)

 明治時代に東京株式取引所(現・東京証券取引所)が開設されて以来、東京都中央区日本橋の兜町は長らく投資家が集まる街だった。政界の中心地を“永田町”と呼ぶように、証券業界の隠喩として“兜町”という言葉も生まれるほど、街には証券会社が店舗を構え、あちこちに証券マンが歩いていた。

 しかし、兜町も時代の波には逆らえなかった。株取引のコンピューター化が進められ、取引所の名物でもあった担当者による身振り手振りによる売買は1999年に廃止。以降、兜町からは証券マンや投資家が姿を消し、兜町は衰退の一途をたどった。兜町の衰退はその後も止まらず、IT化によるネット証券の隆盛でますます兜町からは人が遠のいていった。

 そんな兜町が、ここ最近になって注目を浴びている。東京では千代田区・中央区・港区といった都心部への回帰現象が鮮明になっているためだ。兜町は東京駅や銀座・日本橋といった商業エリアからも徒歩圏。東京駅・銀座・日本橋は平日昼間に会社員が闊歩し、買い物客でもにぎわう。休日はビジネス街という趣から一転し、海外からの観光客がひしめき合う。

 そうした街の喧騒とは正反対に、兜町界隈は平日の昼間も休日も、まるでゴーストタウンになってしまったのではと勘違いするぐらい閑散としている。日本橋や丸の内は再開発によって人が戻ってきたにもかかわらず、兜町は人が歩いていない街のままだ。

 兜町は、当時の物流の主役だった水運を考慮して造成された歴史がある。現在でも兜町は隅田川と日本橋川に接しており、東京湾から船でアクセスするには抜群の立地だ。

 しかし、地下鉄や自動車が日常の移動手段になっている現代では、そうした水運は役に立たない。それどころか、むしろマイナスになっているといえるかもしれない。

「明治以降、“証券取引の中心地”だったにもかかわらず、兜町にはJRも地下鉄も存在しません。最寄駅は隣町にある東京メトロ・茅場町駅。だから兜町の知名度は低くなっているのです」(中央区職員)

「〇〇駅から徒歩〇分」といった具合に、東京で場所を説明するときは、なによりも駅が中心になっている。兜町という駅は存在しないため、一般的にはマイナーな街とされてしまい、グルメ雑誌や街歩き番組などでも単体では扱われなくなる。兜町は「日本橋」や「八重洲」とまとめて取り上げられるようになった。それが、ますます兜町の存在感を薄くした。

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