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三浦展「繁華街の昔を歩く」

東京・大塚ブームの兆候…定年退職世代を引き寄せる魅力の秘密:飲み歩き、歩き回る街

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 前々回に触れた五反田と並んで、都心や副都心の大繁華街に次ぐ歓楽街として名を馳せているのが大塚だ。「串駒」という地酒を飲ませる有名居酒屋があるほか、「串駒」で修業した人がつくった居酒屋、おでん屋、その他多くの飲食店があり、呑み助には魅力的な街である(なお、大塚は文京区の地名であり、今回取り上げるのは豊島区南大塚と北大塚という山手線大塚駅周辺である)。



大塚には街中に飲み屋が多い

「串駒」の店主は60歳前にもう亡くなってしまったが、とても50代には見えなかった。店の2階の座敷にいて、着物を着て、長髪を頭の後ろで結わえて、酒について語る姿は、仙人というか、山伏というか、とにかく浮世離れした人だった。彼から直接聞いた話では、九州から出てきて最初は池袋でキャバレー勤めをしたこともあるという。その後「串駒」をつくり、地酒ブームの火付け役と言われたのだ。

「串駒」は駅の北口だが、南口を出て東の方向に行くと横断歩道の向こうにバッティングセンターが見える。その左の路地を入ると、料亭や小料理屋などがたくさんある。これが三業地(花街、花柳界ともいう)で、その路地は谷端川(やばたがわ)という、豊島区の長崎神社方面から流れてくる川の暗渠である。これがさらに下ると小石川と名を変えて、東京ドームのあたりまで流れていく。

 今は、三業地も賑やかとは言えないが、それでも風情はある。銭湯も残っているので、明るいうちに銭湯に入り、それからどこかの小料理屋で一杯やるのがおすすめだ。

池袋より繁栄していた時代


 さて、この大塚は、池袋がターミナル駅として発展する以前は、豊島区内最大の商業地として繁栄していたという。20世紀初頭の池袋は「なんとなく寂しい町並で、大正末から昭和の初めまではそうした状態にあった」そうで、大塚のほうが賑わっていたし、さらに賑わいを求める人は中山道で板橋宿にまで足を伸ばしたというから、今からは想像できない。

 明治中期から田畑の宅地造成が大塚で始まり、1898年以降、宮仲(現・南大塚3丁目)に「さがや」、駅のガード下に「宮松尾」などの料理店ができた。日露戦争(1904−05)の頃には宅地造成がさらに進み、勤め人でごったがえすほどになり、飲食店が増加し、大正期に入ると大きく発展した。

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