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筈井利人「一刀両断エコノミクス」

ノーベル賞で脚光の行動経済学は、政府権力と人々を誤った方向に導く危険

文=筈井利人/経済ジャーナリスト
ノーベル賞で脚光の行動経済学は、政府権力と人々を誤った方向に導く危険の画像1「Thinkstock」より

 2017年のノーベル経済学賞に10月9日、米シカゴ大学のリチャード・セイラー教授が選ばれた。同教授は行動経済学の研究で有名である。しかし最近ブームになっているこの学問は、注意しないと政府権力に都合よく利用されてしまう危険をはらんでいる。

 同賞を選考するスウェーデン王立科学アカデミーはセイラー氏について「人は完全に合理的には行動せず、社会的な公平性を認識して選択する」ことを明らかにしたと評価した。ここでも述べられたように、行動経済学の特徴は「人は完全に合理的には行動しない」と強調するところにある。

 しかし、ここには少なくとも2つの問題がある。
 
 1つは、行動経済学が「不合理」とみなす人の行動は、本当に不合理なのかという点である。たとえば、行動経済学で人の不合理さを示す証拠としてよく挙げられる例に「リンダ問題」がある。次のような問題だ。

 リンダという女性がいます。彼女は独身で聡明、率直にものを言う性格。大学では哲学を専攻し、人種差別や民族差別などの社会問題に深くかかわっていました。さて、より可能性が高いのは次のどちらでしょうか?

(A)リンダは銀行の窓口係である。
(B)リンダは銀行の窓口係であり、フェミニズム運動の活動家である。

 実験してみると、多くの人はBと答える。しかしそれはおかしいと行動経済学者は言う。BはAの部分集合なので、Bの確率がAより高いことはありえない。「銀行の窓口係であり、フェミニズム運動の活動家」よりも「銀行の窓口係」のほうが必ず多い。だから正しい答えはAである。

 なぜこのように単純な間違いをしてしまうのか。行動経済学者によれば、それはリンダの説明文が、人々が持つフェミニズム運動家のイメージにぴったりと一致するからである。

 このように、ある特徴を過大評価してしまう思考の癖を、リンダ問題を考案した心理学者で行動経済学の先達、ダニエル・カーネマン(2002年ノーベル経済学賞授賞)は代表性ヒューリスティック(検索容易性)と呼ぶ。カーネマンは、人は個人的な経験則に認知や思考が引っ張られがちになると強調する。それだけ人は不合理というわけだ。

 しかし、そう決めつけることに対しては、同じ心理学者から批判がある。英心理学者のポール・グライスは、言葉には文字どおりの意味だけでなく、言外の含みがあるとして、リンダ問題を次のように批判する。

 問題を読んだ人々が、リンダの人格に関する情報は回答に関係あるから書かれていると考えるのは自然なことだ。いきおい、問題にある「可能性」の定義を厳密な数学的定義とは違うものだと推量する。なぜなら、数学的に答えたら、人格の情報が無意味になってしまうからだ。

 グライスのこの意見には説得力がある。だとすれば、人々が「可能性」を数学的意味でなく、話としてもっともらしいという意味と解釈しても、必ずしも不合理とはいえない。

 興味深いことに、ドイツの心理学者、ゲルト・ギーゲレンツァーらの研究によれば、リンダ問題の質問を「可能性」ではなく「相対度数(特定の区分に属するデータの数が全体に占める割合)」と改めて尋ねたところ、正答率が大きく上昇したという。

 つまり人は、質問の表現や形式から最も妥当と思われる回答をしており、むしろきわめて合理的ともいえる。その意味で、人は不合理だと強調する行動経済学は偏った議論に走る恐れがある。

矛盾に満ちている

 そこから、さらに深刻な2つめの問題につながる。

 それは、行動経済学は人の「不合理」な行動を正すには政府が働きかければよいとしばしば主張する点である。「不合理」という表現は不適切にしても、人がさまざまな思い込みに陥りやすいのは事実だ。これを「認知バイアス」と呼ぶ。しかし認知バイアスがあるというだけでは、政府の介入を求める理由にはならない。

 なぜなら政府を構成する政治家や官僚、政府を支持する有権者もまた、人間だからだ。政治家や官僚も人間である以上、認知バイアスに左右される。しかも他人のために行う政策が失敗しても、個人として大きな損失をこうむるわけではない。だから政府の介入は個人の認知バイアスを正すのでなく、むしろ増幅する恐れがある。

 米デューク大学の行動経済学者、ダン・アリエリー教授はベストセラー『予想どおりに不合理』(早川書房)で、人間は不合理なので売買や取引によって個人の幸せを最大にすることはできないと述べ、政府がもっと大きな役割を果たす考えに賛同する。

 繰り返しになるが、政府を動かすのは人間なのだから、政府の不合理な行動を心配しなければならないはずだ。アリエリー教授は「願わくば分別のある思慮深い政府」と条件を付けるが、もし政府を構成する人が思慮深くなれるなら、市場でも人は思慮深くなれるはずだ。

 今回ノーベル賞を受賞したセイラー教授も変わらない。同教授は著書『行動経済学の逆襲』(早川書房)で、税の滞納、駐車違反、臓器提供などにまつわる行政上の問題を解決するため、政府にさまざまな知恵を授ける。しかしそこには、そもそも政府が定める税制や道路計画は合理的か、政府が臓器提供の権限を握ることは合理的かという視点がない。

 もし行動経済学が主張するように人の行動が不合理ならば、政府が不合理な政策を決め、実行する恐れは小さくないはずだ。ところがセイラー教授はその肝心の部分は問題にせず、不合理かもしれない政策をうまく実行する知恵をあれこれ絞る。矛盾といわざるをえない。

 今回のノーベル賞受賞で権威が高まった行動経済学。政府に安易に利用されないよう、注意が必要だろう。
(文=筈井利人/経済ジャーナリスト)

●参照文献(英文のみ。ほかは本文に記載)
Steven Poole, “We are more rational than those who nudge us” https://aeon.co/essays/we-are-more-rational-than-those-who-nudge-us

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