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成馬零一「ドラマ探訪記」

『監獄のお姫さま』、男社会の性差別めぐる混乱を「笑い」に転換するクドカンの挑戦

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性差別を反転して「笑い」に昇華させたクドカン


 同時に、本作では馬場カヨたちが拉致した吾郎を椅子に縛りつけて尋問している途中で「乳首、立ってる」と言うような、セクハラする場面が繰り返し登場する。コミカルに描かれてはいるが、女性たちが普段無自覚にさらされている性的な暴力を反転させて描いているのがわかるからこそ、見ていていたたまれない気持ちになる。

 男社会における性差別の問題を取り込むことは、今の脚本家にとって必須条件となりつつある。『逃げ恥』や連続テレビ小説『ひよっこ』(NHK)などは、それを意識することで、きわめて現代的な理想の男女関係や労働のあり方を描くことに成功した作品だった。

 対して、宮藤が本作でやっていることはもう少し入り組んでいる。男社会の差別に苦しめられている女性たちの立場に立ちながら、理想だけを描くのではなく、そういう「政治的な配慮」が求められるようになった社会で起きている混乱や戸惑い、それ自体を笑いにしているのだ。

 一番わかりやすいのは、繰り返し出てくる「おばさん」という言葉の使われ方だ。もともと、本作は宮藤が「おばちゃんがおしゃべりをしているところを書いているときが一番楽しい」という動機からスタートしたのだが、「おばさん」という言葉は、使い方によっては中年女性に対する差別的な言葉になってしまう表現である。

 そんななかで宮藤がおもしろいのは、おばさんの行動や考え方のおもしろさを描くと同時に、それをいかに差別的にならず魅力的なものとして見せるかに腐心しているところだ。

「おばさん」という言葉は、吾郎のような男性が言うと差別的な意味合いを持つが、馬場カヨたちが自分で「おばさんだから」と言うときは、とても肯定的な言葉に聞こえる。

 宮藤は「週刊文春」(文藝春秋)のエッセイで「脚本の言葉が直されることが近年増えている」とたびたび書いていたが、本作では、その問題についてもかなり踏み込んでいる。

「おばさん」という言葉ひとつをとっても聞こえ方は多様であり、言う人によってまったく別の文脈を帯びてしまう。そのズレを「笑い」として、宮藤は描いているのだ。
(文=成馬零一/ライター、ドラマ評論家)

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