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午堂登紀雄「Drivin’ Your Life」

子どもの低所得&低学歴、親の「子育て」が原因?

文=午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役
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 あるいは「努力する気持ちを削ぐ、やる気を見いだせない今の社会に問題がある」という人もいます。しかし、たとえば同じ試験を受けて不合格になったとき、「次は絶対受かってやる!」と発奮してさらに努力する人もいれば、「自分はダメだ」とがっくり挫折する人もいます。では、こうした違いも、社会の仕組みや政策がおかしいからもたらされるのでしょうか。

 もちろん、孤児であったり、早くに親を亡くしたり、虐待などで心の傷を負っていたり、ケガや病気をしたり、さまざまな事情を持つ人はいます。そうした人々を社会的に支援すべきなのはいうまでもありません。

 そういった特別の事情がないのに、現在の生活を社会や政治や他人のせいにするのは、努力を怠っているといえるのではないでしょうか。

本を読み、思索する

 そうした状況に陥らないための方法のひとつは、やはり本を読むことです。「怠惰な人間の部屋には本がない」という話を何かの本で読んだことがありますが、本という多種多様な価値観に触れて考える習慣がないと、今までの自分が持っていない判断軸を取り入れられる頻度が少なくなり、生きる上での選択肢が狭くなるのだと思います。

 今やあらゆる領域に関する書籍が出版されていますから、自分が目指すべき生き方や方法論を簡単に知ることができます。

 ただし、自分の価値観と違うからと反発するだけでは、本を読む意味はまったくありません。著者の主義・主張をいったん自分の中にくぐらせて、「では自分はどう考え、どう行動するか」と、自分の人生に応用する姿勢を持つことです。本の内容を参考に、自分の人生がレベルアップし、幸福感につながる行為こそが「本から学ぶ」ということです。単なる反発や否定は何も生み出さないし、それは「自分とは違う意見を受け入れられない頭の固い人間」ということであり、つまり「学習能力がない」ことを意味します。

 あるいは、著者の価値観や指摘している懸念・不安・リスクなどに対して、「なぜ自分は著者とは違う意思決定をし、違う行動をしたのか」と振り返ってみることです。すると、自分の判断を支える根拠がより強くなり、自分の選択や生き方に自信が持てるようになります。

旅をして日本との違いを考える

 もうひとつの方法は、旅、特に海外旅行をすることです。もう10年ほど前になりますが、私自身のカンボジアでの経験をご紹介します。

 平均月収が1万円ちょっとというカンボジアの首都プノンペンでは、1台1500万円もする高級車レクサスがたくさん走っています。カフェブームでコーヒー1杯500円のカフェも乱立しています。

 一方、そこから車で約20分のゴミ処理場では、5~10歳くらいのたくさんの子どもが働いていました。みな上半身ハダカで、靴も履いていません。カンボジアでは、親の教育放棄によってたくさんの身寄りのない子どもがいるといいます。彼らはうず高く積まれたゴミの山から鉄くずを取り出す仕事をしています。夕方に来るブローカーから、見つけた鉄くずと交換にお金を受け取ります。しかし、丸一日働いてもらえるお金は、日本円にしてわずか40円ほどという。彼らは限りなくブローカーに搾取されているのですが、生きていくために、もくもくと働いています。

 現在は状況は変わっているかもしれませんが、ゴミ処理場に住んでいて、家もお金もなければ、学校にも行けないし、おいしいものも食べられない。携帯電話もパソコンも持てず、就職もできず、パスポートも持っていないから海外にも行けない。人生を変えたくても変えられない。どこかへ逃げたくても、逃げられない。挑戦したくてもできない。

 ひるがえって「日本は格差が広がっている」「夢が見られない格差社会」などと言われますが、カンボジアに限らず、私がアジアの諸外国を見てきて感じるのは、日本は世界一格差の小さい国のひとつではないかということです。世界水準で比較すれば、日本には格差なんてないに等しい。確かに日本もいろいろ問題はありますが、世界のすさまじい格差を知れば、格差だなんて言えなくなります。

 私はこの経験を通じ、自分がどれほど恵まれているかということに感謝するとともに、環境を言い訳にすることなく、自らの責任において、自らの努力で人生を切り拓こうという、前向きなモチベーションを得ることができました。そして、「やりたいことはなんでもできる、あとは自分次第」と考えるようになりました。

子どもが考える場を増やす

「そうはいっても個人ではもう、いかんともしがたい」という心が折れた親、知的に怠惰な親から子どもを救うには、どのような政治的解決方法が考えられるでしょうか。

 私のひとつの提案は、子どもの義務教育を変えることです。本来は親がすべきことであっても、強制することはできません。そこで親ができないなら、ある程度は強制可能な学校教育を変えるしかないというわけです。

 具体的には、まず理数系科目のウエイトを高くすることが挙げられます。理数系科目は論理的思考力の基礎となるからです。論理的に考えることが苦手な場合、感情や思いつきで判断したり、自分の行動がどういう結果を招くのかという想像もできません。

 もうひとつは、授業の中で自分で考える習慣をつける機会を増やすこと。現在の学校教育の多くは、教師が知識を伝え、生徒は受け取るのみであり、そこに「自分の頭で考える」「自分の意見・主張を持つ」「自分の考えを発表し、他者との違いを認め合う」という場はほとんどありません。また、テストでは問いを与えられ、最初から答えが存在していることばかりですから、自ら問いを発する、つまり課題を発見するという機会にも乏しい。

 たとえば国語では、小説の問題でも「こういうふうに解釈しなさい」と感じ方まで強制されます。正確に読む・書く・話す能力は重要なので、それを否定するわけではありません。そういう基本は押さえつつ、でも「そういう意見や考えもあっていい」という多様性が認められる場を盛り込むべきではないでしょうか。

 現状に疑問を持つことが少なく、「こうすべき」「こうしてはいけない」という強固な固定観念に縛られると、自由な発想ができません。言われたことしかできず、標準化された仕事はできるけど創意工夫して変えることが苦手だと、環境変化にも適応できず、所得が下がってしまう可能性もあります。

 学校の中で「あなたはどう考えるの?」「僕はこう思う」「私はこう考える」という討論やディベート、グループ研究・発表会などで、一人ひとりの個性を発揮させ、それを相互に認め合うような授業を増やすべきではないでしょうか。

 むろん、義務教育をちょっと変えるくらいで解決できるテーマではないし、集団の中ではどうしても差ができてきます。だから完全に格差をなくすことは不可能です。とはいえ大学以前に子どもが自分の頭でしっかり考えるような教育をすれば、「雇われるため」の進学だけではなく、たとえば高校を卒業したら起業家デビューとか、多様な人生の展開が自己責任においてできるようになる人が増えるのではないでしょうか。

 そういえば、お金に関する知識は学校教育では習わないですよね。生きる上ではとっても大切なことなのに。同様に、子育てに関する知識や、論理的な思考方法やコミュニケーション技術、挑戦しよう、努力しようというマインドセットのつくり方も教わらない。壁や逆境にぶつかって心を立て直す方法も教わらない。もしかすると、学校では教わらないことのほうが、実は人生においては重要なのかもしれません。
(文=午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役)

午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役

午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役

 1971年、岡山県瀬戸内市牛窓町生まれ。岡山県立岡山城東高等学校(第1期生)、中央大学経済学部国際経済学科卒。米国公認会計士。
 東京都内の会計事務所、コンビニエンスストアのミニストップ本部を経て、世界的な戦略系経営コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして勤務。
 2006年、不動産仲介を手掛ける株式会社プレミアム・インベストメント&パートナーズを設立。2008年、ビジネスパーソンを対象に、「話す」声をつくるためのボイストレーニングスクール「ビジヴォ」を秋葉原に開校。2015年に株式会社エデュビジョンとして法人化。不動産コンサルティングや教育関連事業などを手掛けつつ、個人投資家、ビジネス書作家、講演家としても活動している。

Twitter:@tokiogodo

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