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『おんな城主 直虎』、最終回直前で壮絶な肩透かし…ベタな展開回避を狙い過ぎて空回り

文=吉川織部/ドラマウォッチャー
『おんな城主 直虎』、最終回直前で壮絶な肩透かし…ベタな展開回避を狙い過ぎて空回りの画像1『おんな城主 直虎』公式サイトより

 柴咲コウが主演するNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の第49回が10日に放送され、平均視聴率は前回より0.1ポイント増の12.0%だったことがわかった(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

 織田信長(市川海老蔵)が、徳川家康(阿部サダヲ)の暗殺を企てていることを知った万千代(菅田将暉)は、直虎(柴咲)のもとを訪ねる。光秀(光石研)の謀反が成功した折には、家康一行を三河に逃がす手助けをしてほしいというのだ。直虎は京の商人・茶屋四郎次郎(辰巳琢郎)を頼り、四郎次郎は陸路を、直虎は海路をそれぞれ手配することになる。信長の招きに応じて安土を訪ねた家康は歓待を受けるが、その最中に光秀は毛利攻めの援軍に遣わされてしまう。謀反の段取りが狂ってしまったことで家康一行は疑心暗鬼に陥るが、「織田さまが我らに殺気を抱いているようには思えぬ」との家康の一声で信長への疑いを捨て、光秀が嘘をついていたのだと悟る。さっそく信長が待つ京に向かおうとする家康一行だが、その途上で光秀の謀反が成功したことを知り、三河に帰還を果たした――という展開だった。

 残念ながら、最終回の1話前で期待された割には盛り上がりに欠けたという印象だ。万千代が活躍する終盤以降は話のテンポもよく、特に徳川家と信長との関係性が描き始められてからは、歴史ドラマとしても人間ドラマとしても完成度の高い内容が続いただけに、期待値のハードルが上がりすぎてしまったのかもしれない。

 光秀が本能寺を襲う場面も、信長が敦盛を舞って自害する場面も描かれなかったのは、演出としてはよく理解できる。通信手段が限られた時代にあっては、離れた土地で何が起こったのかを知るのに必ずタイムラグが生じる。また、物理的に離れている者同士がリアルタイムに連絡を取り合うこともできない。こうした状況下にあって、家康一行が「光秀の真意は何だったのか」「光秀はやはり信長を討つつもりなのか、それとも今回はあきらめたのか」「光秀が信長を襲ったとして、果たして成功したのか」がまったくわからず、何が最善の選択なのか迷ってしまうという描写は現実感があった。何も知らなければ迷わないのに、下手に企てを知っているからこそ考えすぎてしまうというおもしろさも表現されていた。

 とはいえ、本能寺の変をメインに描く(と思われた)回において、いつの間にか本能寺の変が終わってしまったことを物足りなく思った視聴者も少なくないはず。徳川家視点からの描写の後に、数秒で良いから本能寺の変の映像が挿入され、ナレーションがかぶせられていたらもう少しスッキリしたに違いない。

 家康一行が三河に逃げ帰る「神君伊賀越え」の場面では、服部半蔵が昨年に続いて登場するのを期待していた視聴者も多かったと推察されるが、これもなし。直虎が方久(ムロツヨシ)から銭を強引に借りた時には、これが伊賀越えで家康一行がばらまいたという銭になるのかと思ったが、それもなし。勝手に期待したと言われればそれまでなのだが、なんだか肩透かしの連続に思えてしまった。森下佳子氏による『直虎』脚本は、史実を押さえつつ新解釈を取り入れる点で基本的にはよく練られていたと思うが、たまに“ベタな大河ドラマ”を回避しようとするあまりに、全体的にスカした出来になってしまうことがある。それが最終回直前の今回だったのは少し残念だ。龍雲丸(柳楽優弥)を再登場させたのも良いが、それほど話が広がることもなく、直虎と龍雲丸の再会が家康の行動に影響することもほとんどなかったため、結果的に蛇足な印象となってしまった。

 さて、史実の直虎は、本能寺の変のわずか3カ月後に死去しているが、本作の直虎にそうした兆候は一切見えない。最終回では本能寺の変の混沌とした状況をどこまで描き、直虎の死をどのように描くのか。最後まで注目したい。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)

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