ビジネスジャーナル > ライフニュース > 中野ブロードウェイの北側が面白い
NEW
三浦展「繁華街の昔を歩く」

中野ブロードウェイの北側がなかなか面白いぞ…建物から見つかる約50年前の姿

文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

中野北口は、お犬様、陸軍、中野ブロードウェイという珍しい変遷

 中野というと今はおたくの聖地「中野ブロードウェイ」があまりにも有名である。「中野ブロードウェイ」は1966年に高級マンションとして設計されたものであり、地下1階から4階までに商業施設が入り、マンションの中で生活が完結できるようにつくられた。

 開発者は原宿駅前のコープオリンピアと同じ東京コープ販売の宮田慶三郎である。設計は馬場信行。中野駅から北に延びるサンモール(中野北口美観商店街)が、古い木造家屋が密集する一帯でさえぎられていたのを再開発して、早稲田通りまで通れるようにし、通りの上に4階建ての商業ビルを建設するというのが当初の計画だったが、結局は、商業ビルの上にマンションができることになったのだ。中野ブロードウェイは竣工当初かなりの話題になり、沢田研二や青島幸男が住んだというから、今だったら嵐と秋元康が住んでいるようなものだ。 
 
 最近はキリンビール本社、早稲田大学、明治大学もできて、中野駅北口はますます活気づいている。しかし中野駅北口というのは本来は陸軍の街である。江戸時代は徳川綱吉の「生類憐みの令」によって江戸市中から集められた「お犬様」を飼っておく場所だった。今、サンプラザやNTTのビルや早稲田、明治があるあたりである。囲われた中に犬がいたので、昔は囲町といった。

 陸軍があったということは軍人が遊ぶ場所があったということであり、それがブロードウェイの北側にある新井三業地だった。前回の平井の回でも書いたように、新井は阿部定に一物をちょん切られた吉蔵の経営する料亭があった花街であり、吉蔵と定はその料亭で出会ったのだ。

中野ブロードウェイの北側がなかなか面白いぞ…建物から見つかる約50年前の姿の画像1早稲田通りから入る新井薬師参道

新井三業地の歴史

 新井三業地の場所は、ブロードウェイの北側の早稲田通りを、ちょっと東に歩いてから商店街の「あいロード」に入り、しばらくして右折する。この商店街はまだ昔の風情を残しており、なかなかレトロで楽しめる。

 あるいは新井薬師参道よりさらに東の中野5丁目という信号を左折し、北上する。すると「柳通り商店会」という表示が見えるから、その左右が三業地だ。通りの東側に料亭、西側に待合と置屋があったらしい。

 言うまでもないが、「柳」と付く地名はたいがいが花街である。

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表

82年 一橋大学社会学部卒業。(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。
86年 同誌編集長。
90年 三菱総合研究所入社。
99年 「カルチャースタディーズ研究所」設立。
消費社会、家族、若者、階層、都市などの研究を踏まえ、新しい時代を予測し、社会デザインを提案している。
著書に、80万部のベストセラー『下流社会』のほか、主著として『第四の消費』『家族と幸福の戦後史』『ファスト風土化する日本』がある。
その他、近著として『データでわかる2030年の日本』『日本人はこれから何を買うのか?』『東京は郊外から消えていく!』『富裕層の財布』『日本の地価が3分の1になる!』『東京郊外の生存競争が始まった』『中高年シングルが日本を動かす』など多数。
カルチャースタディーズ研究所

中野ブロードウェイの北側がなかなか面白いぞ…建物から見つかる約50年前の姿のページです。ビジネスジャーナルは、ライフ、, , , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!