中国の全国人民代表大会(全人代:日本の国会に相当)は20日午前、再選された李克強首相の内外記者会見を最後の公式行事として幕を閉じた。今回の全人代では予想通り、中華人民共和国憲法から国家主席の任期に関する規定を削除する法案が採択されたほか、習近平国家主席の最側近だが、すでに慣例上引退年齢に達し中国共産党の役職をすべて辞任し平党員となった王岐山氏が国家副主席に選ばれるなど、異例ずくめの大会となった。
日本では、トップニュースとして「中国、集団指導体制に幕」などと大見出しで報じたメディアもあったが、実は中国共産党の歴史において、厳密な意味では集団指導体制が存在したことはない、と筆者は考えている。
実際には中国は「秦の始皇帝」以来2000年以上続いていた「皇帝制」をまだ引きずっており、習氏が最高指導者になって、「中国統治には皇帝が必要だ」ということをはっきりと内外に宣言したといえるだろう。
習氏の国家主席再任の信任選挙では反対は0で、賛成は満票の2970票。全人代委員たちは「習氏が独裁者になろうが、皇帝になろうが構わない」という意思表示をしたことになる。逆に、反対すれば無記名投票でも誰が反対票を入れたのかを調べられて、遅かれ早かれ報復されて職務を解任されるかもしれない。もしかしたら、反腐敗闘争の容疑者として徹底的に叩かれて「塀の中」に落ちることも考えられるだけに、「絶対権力者である習氏に逆らわないほうが身のため、家族のため、親族のため」と考えるのが普通だろう。
一方、王氏の副主席選出の投票では、反対票は1票だけだった。この1票が誰だったのかについて、当局は会場全体に設置されているから監視カメラの画像から、すでに把握していると考えられる。その人物は、反対票は自分が投じた1票だけだったことを現場で知り、恐れ慄いたに違いない。「腐敗分子バスター」として辣腕を振るった王氏を敵に回したと同じだけに、今後は鳴りを潜めざるを得ないと考えたとしても不思議ではないだろう。
独裁体制が常態
このような独裁体制について、日本の大手メディアは「悪」との観点から記事を書いているようだが、中国人からみれば、独裁体制は悪でもなんでもない。なぜならば、「ラストエンペラー」といわれる清朝の皇帝、愛新覚羅溥儀まで2100年以上も皇帝制度は続いてきており、中国の政治体制は皇帝による独裁体制が常態だからだ。