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筈井利人「一刀両断エコノミクス」

米国、強制不妊手術の優生保護政策を国を挙げて発展させた「暗黒の歴史」

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 ダベンポートは米国民のうち最も能力の劣る者を少なくとも下位10%について特定し、彼らに適切な「対策」を施すことで、血統を絶やそうとした。その多くはてんかん患者、知的障害、奇形、ろうあ者、視覚障害者といった人々である。

 優生学の広がりとともに、州で強制不妊手術を可能にする断種法が相次ぎ制定される。最初は1907年のインディアナ州で、その後1909年のワシントン州、カリフォルニア州などが続いた。1927年、バック対ベル訴訟で最高裁が強制不妊手術を合憲と判断して以降、実施が急速に増え、全米で6~7万人もの人々が不妊手術を強いられた。ほとんどは女性である。

 バック対ベル訴訟で判決文を書いたオリバー・ウェンデル・ホームズ判事は、今も偉大な裁判官として尊敬を集める人物だが、「社会は明白に病弱なものが種として存続することを防止することができる」と判決に記したことはあまり語られない。女性の産む権利を主張した産児制限活動家のマーガレット・サンガーも優生学を強く支持した。

米国から学んだヒトラー


 こうした米国の優生学を熱心に研究したのが、のちにドイツの独裁者となるヒトラーである。ヒトラーの人種的偏見は彼自身のものだが、優生学はそれに科学的な装いを施すのにもってこいだった。

 ジャーナリストのエドウィン・ブラックによると、ヒトラーはナチスの同僚に向かい、自分が米国優生学の動向にいかに詳しいかを自慢し、こう話した。

「米国のいくつかの州法を興味津々で研究したよ。どう転んでも種族にとって無益有害な子孫しか残さない人間の再生産を防止するんだ」

 ヒトラーは1925〜26年に出版した著書『わが闘争』でも、移民排除に乗り出した米国をたたえ、こう記す。

「現時、少なくともよりましな解釈に向かっている微弱傾向が目につく一つの国がある。もちろんこれはわが模範的なドイツ共和国ではなく、アメリカ合衆国である。(略)アメリカ合衆国は、健康上よくない分子が移民することを原則として拒否することによって、ある民族には帰化を全然認めない。すでにアメリカはかすかに、民族主義国家観に特有な観念を知ったのだ」(平野一郎・将積茂訳、角川文庫)

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